原曲『アパアト』体感研修①

2024年2月9日 渋谷精舎

【個別の感想】

○ 妖怪性を炙り出されたなという衝撃的な研修

曲調は楽しそうで軽い感じもするけど、私にとってはすごい力強くて吹き飛ばされそうな衝撃を受けた。

歌詞だけ見ると分からないけど、そのバイブレーションと研修の流れで原点に立ち返るというか、自分で分からなかった闇の部分が見えてきたような印象があった。

○研修の途中で咳が出て、その時に話し声が聞こえて、それは私に憑いているものだと思ったんです。

そのうちポンと外れて蓋がされた感じだったので、霊的な力がものすごく強い曲なんだと感じた。

そして、悪霊との対決は最後は出て行けという決意なんだと改めて思いました。

○来るまで結構大変で邪魔をされている感じだった。

原曲も最初のほうは楽しい曲調で、その波長と同通すると外れるし心を護れる、そういうのは大事だと思った。

ガラス箱瞑想をしているような感じだった。

○渋谷での原曲研修は今日で4回目なんですけど、来るたびにどんどんポジティブになる。

私は趣味で音楽や聞くんですけど、このアパアトは、これはミサ曲だと感じた。 曲中の「ホー、ホ、ホー」というのは、違った見方もあるだろうけど、私は悪魔のささやきだと思った。

最初の「ホー、ホ、ホー、」は強くて、最後の「ホー、ホ、ホー、」は弱くなって消えていくんですよ。

○私のパンセのあとがきに「ある意味でもっとも苦しかった」というのを読んで、苦しかったというのを本音で素直に言ってくださるのが愛だなと感じた。

 何も私は悲しくなかった、苦しくなかったというのではなく、本当に苦しかったと言ってくださったということが私の中に入ってきて、神である自分自身が肉体を持つ、神であっても肉体を持つと苦しみも悲しみもある。

 なので、あなたがたは普通の人間なので、苦しみも悲しみもあるのは当たり前ですという、そういう優しさ、愛を感じた。

○除霊曲というから、イメージとしてはどーんというのがくるかと思っていたら、わりと軽くて

「ホー、ホ、ホー、」なんて、山賊の歌かって思っちゃって。楽しそうな感じもして。

あまり悲しみ、苦しみを大きくしないで軽くして、浮上させて、そんなのフーンみたいな、そんな感じの除霊なのかと思った。

○除霊曲というのは知っていたんですが、こんなに優しい曲だったんだと思っていたら最後の方は「私の体と心は守りぬくんです」っと、だんだん強くなっていって。

あー、力強いな、これで払ってもらっていたんだなと思って。

 はじまる前に少し臭かったんです、それは自分から匂っていて、曲が終わった後に匂いをかいでみたら全然臭くなくて、憑いていたものが出ていったんですね。

【自由法談】

A 最初は楽しい曲だなと思っていて、明るい気持ちとか、ユーモアセンスで自分の気持ちを明るくするというのは大事だということを学ばさせてもらっているのかなと思っていたんですけど。

 ご法話、映画のシーンとか見て、自分の苦しみ、悲しみを呼び寄せていた部分に意識を向けようとしたらすごく苦しくなり、逃げたいという思いが出てきて、何に対して逃げたいのかって問いかけたら、使命を果たすことが怖いというのが出てきて、勇気、覚悟の部分が、まだ私にはできてなかったんだってことに気が付いた。

 その弱さがあったから、ある意味、本当に明るくなれなかった。自分はアパアトではないんですっていう確信が持てなかった。無自覚に呼び込んでいたので、その原因を突き止めてもらったような気がします。

 原曲のバイブレーションは理屈を通り越して全身に感じるものだからこそ炙り出された。

歌詞も最初は楽しかったんですよ、それがだんだん超まじめになって、言い切るという力強さがある。

 その言い切る力強さが欲しくて、断固として使命を果たして吹き飛ばしてしまおうって、もう笑い飛ばせるくらいの心境になるために、この部分を発見する必要があったんだなと分かった気がします。

自分で気が付かない部分が仮面だったと思うんですけどね。

知らない自分の発見、衝撃だった。

まじめに降魔の研修をさせていただいたなって感じ。

F こんな執着あったというところが出てきたりしました?

D 放さなきゃいけない、そこに捉われること、それがすでに執着なのかなって感じで。

わかっちゃいるけど放せない、考えれば考えるほどにそこに思考がいくっていうのは執着なのかなって。 だからそこは逃げるんじゃなくて、突き抜けていく。

その執着がどうでもよくなる方法は、自分で探らないといけないと思ったんですよ。

F 修行者はわりと多いよね、ねばならないって、どんどん重くなっていくみたいなね。

D ちょっと離れてみる。いい加減になっちゃいけないんだけど、ちょっと離れて別の角度から見る、そういうのも一つの方法じゃないかなって思う。

さっき言ってた歌詞のなかで、「から」と「です」は必ず間が空くんです。その“ため”の部分というか、決意が思いっきり入っているんじゃないかって思いましたね。「から」「です」って、物凄く力強い。

F 原曲って、微妙な間があったり、ここ、こんなに伸ばすのとか、きっとそんなところにも意味があったりするんでしょうね。そのへんまで中々読み解けないですけど。

今回は特に顕著だったけど、原曲って擬音みたいなの多いじゃないですか。

「ホー」「あ~」「トントン」とか、あれも何かを表現されているんでしょうね。

D 最後の「ホホホー」はだんだん声が小さくなっていくんですよ。

F 遠ざかってるのかな悪魔が

D そうそう、そういう感じ。

F 自分のなかの苦しみ、悲しみとかは感じられましたか。

E とらわれ過ぎているというか、やはり、この世的にはなんとかしようと、A,B,Cとかいろいろ解決法を考えて試してみるけど、なかなかうまくいかない時はどうしても心が持っていかれてしまう。 この世的な努力は必要なんですけど、それをやりつつも、心はサラサラと透明じゃないといけないと感じました。

B うちの主人、会員番号が九千番台で偉そうなんです。それを何とかしたいんですよ。

自分は瞑想ができて、私は瞑想という形ではできなくて、それをバカにされてみたいな感じで。

きっと宗教霊が憑いているって思って、何とかしてくださいと願ってたりしたんですけど、どうも私のほうに反省はあったみたいで。

D 最終的には、3次元的なことってたいしたことじゃないことがほとんど。だから自覚もそこが絡んでくると思うんです。

3次元的なことはいつでも放してどうっていうことはないんだよって、それが分かれば本当にどうってことないと思うんですよ。

A 歌の感じに圧倒的余裕感があるんですよ。

皆  そうそう、そうなんだよね~

A 無駄に恐怖しているのは、あなたの弱いところでしょう。

 圧倒的な光が流れている、ここに!みたいな。それが私自身なんだという自覚ですね。

C 戦うみたいな感じじゃなくて、すーっと流れていくみたいな感じ。

D 悪魔とか妖怪の武器って恐怖心なんですよね。

 恐怖すると悪魔、妖怪に屈することになる、だからそれを超えれば大丈夫なんですよ。

C 途中で思ったんですけど、何で「アパアト」なんだろうと。シェアハウスでもいいじゃないかと。

アパアトって一部屋で完結していて、住める部屋がいくつもあって、一軒家は一個で全部屋あってはじめて住めるみたいな違いがあるじゃないですか。だから、自分で悩みとかいっぱい作っちゃうと、そこに悪魔とか妖怪が入り込んできて、自分の意識が分散されている状態になっちゃうから、アパアトってそういうことを言ってるのかなって。シェアハウスまでいくと完全に一緒に住んでる。

そこまでいってないけど、悩みがいっぱいでとっちらかって、自分の心の中がごちゃごちゃで、ちゃんとした一つの意志で固められていないような状態のイメージだと思いました。

D アパアトの3番目の文字が―じゃなくて“ア”なの はなぜか分からないんだよね。

F “アパアト”だもんね。そこ、何か感じる人誰かいますか(笑)

G 歌詞のなかで、「悲しみや苦しみもそう簡単に入り込むことはできないんです」ってあって、簡単に入り込むって自分で思っているから、だから入り込むんだって一転語のように思えて、私はすぐに「入ってきますよ、先生」って思っちゃうんですが、思うから入ってくる。

主は、そう簡単に入り込むことはできないんだと教えてくださっていて、そうなんだ、入り込むことはできないんだと思ったら入れないと思いました。

F 悲しみも苦しみも、結局、コントロールできるんだよってことかな、自分次第で。

A 悲しみや苦しみは簡単に入り込まないというのは、自分のなかに落とし込んでいこうと思うと強くなれますね。本来の心の明るさを取り戻せるというか。だから闇を多くしないということを教えていただいた気がします。自分に正直にならないとなあと思います。

G 自分に正直になったら、その悲しみ苦しみは本当のものなんですかっていうところなんですよ。

 正直になったら、どうってことないですよってことですかね。

 そんなに悲しまなくても、苦しまなくてもいいんですよってこと。

A 私の場合は、二重三重になっていたので、何なんだということを、何度も問いかけなければ剥がすことができなかったというか、原曲を通して、一気にベラベラ剥がれていくような感じになって、丸裸の自分が出てきたときに、あー逃げたい、使命から逃げたい、怖いっていう思いが出てきたんですよ。情けない自分が。

でも、原曲のメロデイ、言葉で本来の自分とはこういう自分なんだよってことを、圧倒的な光で包み込んでくれる。改めて作り変える、自分が今まで持ってきたゆがんだものが新たに新生できた気持ちでいます・

F やはり、バイブレーションが強いからね。ドーンって当たってくる。

A やはりバイブレーション強いですよね。経典だけじゃ分からない。

H 数年前に霊調が悪くなり、その当時に支部で悪霊撃退を受けた。その時、黒いものがポーンと出て行った。

当時、御本尊がなかったので、支部長に「天使のモーニングコールを聞いてください、一日中聞いてください」と言われた。

F そういうときは、光のバイブレーションをずっと浴びて、自分のバイブレーションをそっちに合わせていくっていうのが一番いいですね。

楽曲でも結構力があるものがあるじゃないですか。 私はお祈りの前に何回か楽曲を聞くんだけど、聞いているとゾワゾワってしてくるときがあって、何かいたんだなって。一日生活していると何かしら、例えば生念とかもかぶってるからね。

ゾワゾワするときは離れていくときらしいですよ。

今日も、原曲2回目のときにゾワゾワして、何かいたんだね(笑)

G 何か出てきますよね。

F 大丈夫ですか(笑)

E もともと感じないんで(笑)

F 毎回参加されているけど、はたから見ていると感じないっていうけど感性が上がってきている気がする。

E うん、何かがちょっとずつ変わってきている気がする。最初、まったく分からなくて、皆さん何か凄い分析されるじゃないですか、私、そういうものもないし、感性で分かる方でもないし。

ふーんという感じで、数だけこなしている。

A.B.C こつこつ重ねているのは凄い!

F 自分で分からないところで変わってきている、原曲ってそういうところあるじゃないですか。

 聞いているときじゃなくて、日常生活の中でとか。

A ありますよね~、経典の読み方とか。格俳句の気持ちがぐっと入ってくるとか。

ここで(胸)キャッチできるようになる。胸の部分が凄く反応するようになるので、胸、心を育てているのかなって。頭のところだけ育てても分析するばかりで言葉の壁が邪魔をするので。

原曲って情報の海なので、それをまず入れてもらえるような感覚なので、日常生活が変わる。

感性が豊かになる。

F どうしても経典とか読んできて、知性を育ててきたじゃないですか、今、楽曲とか原曲でこの辺(胸)を開拓していかないとバランスが悪いじゃないですか。

A そうですね、このアパアトでも、主の言葉に音をのせるので感情が伝わってくるじゃないですか。

言葉で表現できない部分の明るさ、楽しさ、圧倒的な光感とか、これは文字だけでは分からない。

J この原曲研修を受けさせてもらって、そのなかで修行菩薩発願の話を聞いて、無理だとは言っていられない、やはり菩薩の道なので。

アパアトの研修を受けたおかげで、発願することができました。(皆 拍手)

このアパアト、歌詞を見ただけで自分に必要だったかなという感じがした。 寝る前に自分の転生の悩みとか苦しみとか考えていて、転生のなかで何か自分で握りしめているものがあって。

粘着質でずっと握りしめている、その自分が嫌で。生まれ変わっても、ずっと溜めている苦しみ、それが自分だと思っている。

A 永遠の転生輪廻を超えてのカルマの苦しみってありますよね。

J やはりイエス様が大好きなので、同じような経験をされた方でも手放せる人っているじゃないですか。

自分は掴んだままで放せなくて、エル・カンターレ信仰にいけないというのが、すごく後ろめたくて。

自分の過去世の苦しみ、信仰したから辛かった、苦しかったみたいなものをグーッと持っていて、どうしたらいいんだろうと思っていたんですけど。

映画「レット・イット・ビー」の「信仰と苦しみ」のあの場面で・・・・・・

自分がつらいと思っているときにイエス様が来てくれていて支えてくださっていた。

自分は気づいていないけど、憐みの目でみてくださっていたという映像が見えてきて、そのように主も見てくださっていたなら、自分が辛かった思いも報われるかなと思ってたら涙が止まらなくなって。

今日、アパアトに出たときにこみ上げるものがあって、ここからエル・カンターレ信仰に入っていけるかなと思いました。

ここから始めなきゃいけないなと。

F 宗教に来られる方って、そういう傷を持ってるかたが結構いらっしゃるけど、原曲を重ねていると、そういう過去の傷ついた部分とか出てくるけど、さらに聞くことによって癒しもされる。

原曲研修を重ねられるといいかもしれないですね。

 前回はレット・イット・ビーの原曲研修やりましたよ。要望があればまたやりますよ。

A  原曲研修が一番入ります。本当に感動する、主の思い、愛、切実さとか生で伝わってくる。

他の研修と何か違うんですよね。新しいタイプの研修きたー!って。

ある意味、宇宙時代を開くためのバイブレーションをあげていく秘密兵器と私はみています。

F 原曲研修を続けて受けていると、どこかのタイミングで自分が変わる。

私なんか全然変われないなあと思っていたけど、主人が変わったっていうから、そうなのかなって。

自分として感じているのは、生きやすくなった。いつも何かしら重苦しくて、生きづらかった。

それが生きやすくなったなと思っていたら、主人がお前変わったよって。

G 原曲を聞き続けてですか?

F ほかに新しいこと何もやってないから、そうだと思う。(笑)

B 最初、こんなに凄いと思わなかったんですよ。研修を受けてみて分かった。今までと全く違う新しいものをいただいている感じ。

G 皆さん、先生が好きだとおっしゃるのに、その好きな先生が歌っているのに聞きたくないって、本当に不思議で。だって、好きなんでしょう。

A 原曲は技術とかじゃないんですよ。この世のものじゃないんですよ、天上界から下りてきている。美しいメロデイとか凄い技術とか、そういうもの以上の素晴らしさがあるっていうのに気づけるんですよ。

だからそのへんのセンサーを強める必要があるのかなと思っています。

たとえば、技術や美しいものしか認めないってなったら、外観が美しければいいんじゃないかという考え方に近いと思うんですよ。中身を、心を見ているのかと問われている気がするんですよ。

原曲で主の心を見ていますかと、毎回問われている気がします。

※法談はいろんな話しが出るので、あくまでも個人の意見であり感想になります。こちらに掲載するにあたり、適宜編集させていただいていますのでご了承ください。

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