原曲「22世紀の君」体感研修③

2024年5月19日 大阪正心館
A 『格はいく集』では、「卵大のダイヤモンドを探す」で、原曲は「石榴ようなダイヤモンドのペンダント」になっていて、その違いが分からなくて…
卵って、つるんとしていて、石榴は割れると粒がいっぱいあって、その一個一個のダイヤモンドが、何かなんでしょうかね?なぜ違うようになったんでしょう?
石榴のような大きなダイヤモンドをどうするんでしょう、って最初は思っていたんですけど、「あ、ペンダントなんだ」と。石榴の花言葉を調べている方がいらして、確か「悟り」とかいろいろ…
だから、一つ一つに色んなことが象徴されているのかなって。そこが一番最初に気になったところ。ダイヤモンドって、宝石の中の美しい象徴なのかと思いました。卵大だと置物にするしか飾れないけど、ペンダントなら身に着けることができる、とか。
B 普通、人は何かを贈ろうと思うとお店で品物を探してとなるけど、主はまず心に描く、それが現れるのかも。そうやって主は世界を創られたんだなって。
なので二十二世紀の未来も、主が心、夢でご覧になったことが起きてくるって感じました。心の中で描くことから、すべてが始まるのかと。
C 私は一番初めに聞いた時に、声のトーンがすごく明るくて、希望を感じさせてくれるような声だと感じたのと、「二十二世紀も美しかった」、「僕自身の姿は見えない」けど「光と一体となって幸せをかみしめていた」とか、このままの二十二世紀じゃなくて、やはり違うパラレルワールドの二十二世紀なんかなとも思うし、この続きであっても「過ぎ越したらしい」、「過ぎ越した」でなく「らしい」という、その辺がなんか…
A そうですね、最初クルクル回転させて、その場面に多分先生はいかれて、そこから二十二世紀を見られてるのかなと。でも自分の姿は見えない。
それがどういう象徴なのかなって思うんですけど…
「この闘争と破壊の星に」来られて、でももう戦争もないし平和なんだと思うところに繋がるのか、それとも違う地球のどこって、ちょっと不思議な…。
C この先であるようにも思うし違う世界の地球の話っていう気もするし、色々ずっと考えていて…。
「階段を降りた下の部屋には多国籍の子供たちが遊んでいた」って、もう平和になってるってことですよね?
最後に子供の写真が出た時に、今ラファで殺されている子供たちのことを思った。早く早く、こういう世界になってほしいって、泣けてきました。
A 主のお言葉の上に未来は築かれていくことを、もっと私たちが信じることによって、その時間が早まるのか力が強まるのかわからないけど、信仰心をもっと精進したい、もっと原曲を受け続けたいですね。
C 先生がお隠れになる、そのちょっと前に作られた曲でしょう?そこを見越して先生はご計画で行かれたと思うので、こういう曲を残された意図って…。
A 希望を抱くことを教えて下さっているのかなと。
B 『小説「揺らぎ」について』で言われたことを思い出します。
「祈りは過去、現在、未来を超えて届く」という、「後世にキリスト教徒が広がったら、イエスも復活するだろう」って、今生きている私たちの復活の祈りと、未来の信者さんとの思いが、私たちには知りえないところで全部繋がっているのかなと。
今の私たちの、ささやかな自己変革、今までと違う新しい自分になっていくことが、未来に繋がっていると思うし、壮大な未来は主の御心の中にあるのですが、私たち一人一人の地に足の着いた小さな自己変革も、「自分がダメだから変わる」だけじゃなく、「未来に向かっていける自分になりたい」っていう思いで少しずつ努力して変わっていく喜びも大事だなって。
「この未来に向かって歩んでいくとは、どういう自分になっていくことなんだろう?」って思うと、「この一日の中で、小さいけど、これを変えよう、これを頑張ろう!」って、そういう一人一人の変化と喜びが積み重なって、繋がっていくのかなと思ったり。
A それって大事。みんな信仰という中に含まれているというか。
信仰を持つことって、ただ神様を信じるだけでなく近づいていきたい、そういう思いに変わっていきたいということも大切なんだと。明るい二十二世紀の世界にふさわしい思い、自分の心で行けるように変わっていこうとする思いを、まず持つようにしたいです。
B 私たちも、どこかでその時を迎えるわけですもんね。意外と近い未来、千年後とかじゃない、近い未来。その時自分が一体、どこにいるかわからないけど、確実に存在はしてるはずなので、やはり今のままの自分ではないはず。
生まれることは、新しい個性を獲得するためと教わってますが、今までの延長線上の自分じゃなくて、新しい自分になりたいと思ってみんな生まれて来ると思うけど、死んではじめて「そうか、本当はこうしたかった。あれが夢だったのに」って、あの世に還って気づいて、また何百年間あの世で修行して、またゼロから始めてっていう繰り返しだけど、今世は生きている間に何回も何回もチャンスを与えられている。
「復活の祈り」は、全員一緒に、そのチャンスの中にいるという感じ。普通はそれぞれの人生の転機は人によって違うと思うけど、今は信仰を持っている人みんなが一緒に、そのチャンスの中で生きている感じがして、その結集が、何がどうしてまではわからないけど、「あなたこれでよかったのよ」って。
A 「これですべてよかった」って、何があったかって、後でないと言えないですもんね。100年記念って…
B そこは、お二人にしかわからないお気持ちがあるのかな?そこはおっしゃっていないので、私たちが知る必要もないことかもと思ったんですけど。
C ロシアの衣装っていうのも、あまりわからなくって…。占領されたというよりは、地続きになったという方がいいと思いながら…。
B 確かにその辺も意味深な…。
C 先生が、「黄色いバラを見ていた」というところでも、二十一世紀を見てはるような感じがして。優しく、優しく見ていられるような気がして。で、先生はいつも世界を美しく見てられるんだなっていう。
A そして、ここ(九階瞑想室)も九階のドームだなと思って。
C この九階のドームって、天上界の象徴?そして「螺旋階段を降りて、子供たちがいる」ところが地上っていうこと?
A 時間の流れの変化のことなんかなと。
B わかりきることも出来ないけど、深めていきたい原曲ですよね。
A 何度も、他のどの曲を受けても、何度も深めたい。
全員 そうそう、本当にそうです。
【法談について】
A 原曲研修のあとの他の方々の法談まとめを読んで、「原曲って、気づきがこんなに深いやん!」って思って、それで原曲を受けようと思ったんです。
それまで、ボケーっとしてて、「ようわからん」って世界だったんですけど、「原曲って、こんなに深い気づきがある人がいるんだ」と思って。
C「復活の祈り」の時から、原曲研修を受けさせていただいたんですけど、その時は、受けて終わって、お祈りっていうだけで、そんなにそれぞれ、色んなことを感じてるという法談もなかったので、もっと原曲の素晴らしさを広めていきたいということにもなると思って、法談大切にしたいです。
※法談はいろんな話しが出るので、あくまでも個人の意見であり、感想です。こちらで適宜編集させていただいています。