原曲「法力」体感研修②

2026年3月12日 渋谷精舎
【グループ1】
A 基本に立ち返れっていうことかなと感じました。
この映画は2021年、多分曲おろされたのは多分ちょっと前だと思うんですけども、ある意味修行のスタートのことですよね。
それを、改めて、今一度、兜の緒を締めよじゃないけど、多分、そこに至ってなかったと。
弟子が、多分、皆さん、多分、出家も在家も含めて、
先生の深い悲しみもどっかあったんじゃないかと、まだ、これ、ここを言わなきゃいけないのかみたいな、まじで基本にまで入ったなっていうところを感じました。
B 先生が言われる、かっこ付きの常識と言われるもの。
あれが先生の常識と、私の常識はそんな差はないと思ってたんですけど、かなりあったんだってのを、もう特にこの数年ね、ひしひしと感じます
C 最後の「釈尊の道を忘れてはならない」に関して。
映画では「自らの撒いた種は自分で刈り取らねばならぬ。これが釈尊の道だ」というセリフがありますが、魔に勝って戦いが終わっても、また悪い種を撒けば、再び悪い結果がやってくるからこれで終わりではない、やり続ける必要がある。自分に対する戒めにもしてると感じました。
主のお気持ちを考えると、2500年前に釈尊が説いているのにみんな忘れているので、今度こそ忘れてはいけないよと伝えてくださってるようにも感じました。
講師から最大の法力というお話がありましたが、神の御心を原曲によって示してくださってるという意味で、今まさに最大の法力の中に包まれていてありがたいと思いました。
D 歌詞で、1番最初のさ、先生のハミング的な。あれってなんだろうね。
B フンフンフン•••••って。
A そうそう、そうそうそうそう
B あれをそのままメロディーにしてる。一歩じゃないかと。
A 亀のように前進してるイメージ。
B そうそうそう。1歩1歩ね、地道な毎日。
C 最初のところがスロースタートですね。チンピラは力を見せつけたがるという御法話があると思います。武道をやってる人はチンピラと違って、力を見せびらかさない。静かな方が逆に怖い。
強いけれど力を見せなくて抑えている。漏尽通力にも繋がりますけど、畏怖、怖さを感じました。
D それでもまだ修業の途中にあるものっていうことですよ。強いんだけど。人間の持つ無限の昔から現代までって、これはやっぱり人が地上で生きるようになってから今までってことかなと思って。
で、「太陽の法」に、人が地上で生きる目的は、霊性が失われているなかで、その中でどんだけ自分が霊性を持てるか、霊的人生観を持って生きられるかっていう、そういう修行の場なので、その目に鱗をかけて、あえてかけられてるっていう。
霊的じゃないこの世界の中で、いかに霊的になって生きられるかっていう、そういう修行の場なので。
ただ仏は鱗をかけただけじゃなくって、仏法真理も同時に降ろしてくださって、そこでどれだけ気付いていけるか、自分がこの中でどれだけ霊的に生きられるかっていう修行を日々重ねていってるっていう、そういうことかなって。
戒律とかどうでしたか。
C 魔は戒律を持っていない。亀のようにコツコツ努力をしない。だから、戒律を立てて魔と反対のことをやるから、波長も合わなくなる。そう考えました。
A 自分の仏性から出てくる思い、こうしようとか、ああしようとか、こう言おうとか思うけど、大体負けていくじゃない。
そのまま負けないために、1つ1つ戒律を作っていやっていく、それは霊的になってるってことかなと。
自分の思いをそのまま実現していけるってこと。戒律を自分で持って1つ1つやっていく以外、いくら打ち破れ打ち破れって言われても、打ち破るだけの修行論がやっぱりないと無理
B 近道はないってことをね、教えてくださってる。つくづくね、やっぱもうほんと、コツコツしかないですよね。
私も痩せよう痩せようとか毎回思うんだけど、もう今日はいいかみたいな、今日は大盛り食べちゃおうみたいなもん。
その、その繰り返し。明日から。
もう今からって始めないと、明日からは永遠に来ないと、つくづく感じました。
それで、修行にならずに死んで行っちゃうと、全く、何しに生まれてきたか、みたいななっちゃうからもう。
D 先生の原曲研修出てると、そういうコツコツみたいなもの多くて、前も「一隅を照らせ」とか、法談の時にやっぱいっぱい出てくるね、コツコツよね、みたいなの。
原曲研修始めて何回も出てきてるけど、できてるかなみたいな。
B だから、3年経ちましたでしょ、あれから。
でもこの3年、私自身振り返って、こういう機会ね、皆さんと出会えて、これはほんと幸せなことと思ってるんだけど、自分自身が成長してるかなと、変わってなかったなと思って、これはちょっとまずいと思って。
で、こつこつっていうここがあって、で、お疲れ様でしたって言った後、またまた太っちゃうみたいなとこあって、ちょっと、ほんとに、ほんといけないなと思う、コツコツやらないかんと。
D やっぱりそういう意味で、戒律を自分でしっかり決めないと、ほんとにお疲れ様って言って、日常の中で、変わったかどうかっていう、そこのところは1回ちゃんと見ないと。
変わったって結構言われてるでしょ。
C 四国の善川先生の公案で、1人になった時が本当の自分だという内容があったと思うんですけど、同じですよね。
精舎に来ると磁場もいいし、皆さんからパワーもいただくから下駄を履かせてもらえる。実力以上の自分になれる。でも、家に帰って1人になった時に「あれ?」となって、できない自分に戻る。
ループして同じことを繰り返して、悪い方のヒプノティックリズムになる。
A そうなのよ。なんとかね、そのリズムをね、変えたいと思ってるんだけど。
C この歌詞は机上の空論で書ける内容ではないので、先生も実際にこの順番で魔に攻撃されるという体験をされたのではないかと思いました。
修行していない一般人には、おそらく貪欲から入ってくると思う。
私たち信仰者の場合は、最初に信仰のところ。惑わかしのところが天使のモーニングコールで疑と悪見に繋がると言っていました。信仰者には貪→瞋→癡の順ではなくて、疑・悪見→貪→瞋→癡の順に攻撃されるんだろうなと。
A 信仰を捨てさせる方向でね。
C 信仰を捨てさせた方が、エル・カンターレ系霊団との繋がりを断てるから、1人を攻撃するだけでいい。その方が集団と戦わなくて済むから、魔にとっても楽だろうなと。
A 修行の途中にあるもの、そこから魔性は立ち上がって来るから、逆に仏弟子になってなければさほど攻撃もされないっていうか。
そこはあるかもしれないね。
【グループ2】
A 初めに感じたのが、出だしのイントロが不思議だというのと、主の声から体調不良なのかな?と感じて、「体調が悪い時こそ『法力』という歌を出して下さっているんだな」ってその背景を主の声から感じて、これが主の精進力で法力に繋がるのかなって感じました。
「人間の愚かさっていうのが無限の昔から現代まで」というのが目から鱗で、仏法真理を学んで心の三毒を超えたとしても、最後に慢心になって、ずっと愚かなんだなっていうのをしみじみと感じました。
「戒律を護って前進し続ける」っていうことが大切と主のお姿から学ばせていただきましたけど。自分を振り返ると程遠い過ぎて。だからまず1つ1つ焦らないで今日揺れた心から見つめたり。
また前進するのが、昔は自戒を作って毎日やる事を決めて必ず実践したんですけど、今は崩れて、こうやって退転していくんだなと忘れていたことを思い出して、ずっと前進していく気持ちを強く持たないと怠けるから、目標をちゃんと立てないといけないんだと感じさせていただきました。もう反省ばかりです。以上です。
ありがとうございます。
B 私は反対に最初のイントロみたいなところ、主が言われた時から感じるものがあったんですよね。
そこにも常に霊力というか、法力というかが込められてる感じがして。
で、それを感じながら、私も同じように、「人間の迷いなんてそんなにたくさんあるものではない」っていうところ、「人間が堕ちるものって本当にパターン化してるな」って、1つの攻略ポイントだとハッとしつつ、自分自身の反省に入っていったんですけど。
私もある意味同じで、若い頃の方が努力というか猪突猛進に近かったんですけど、選挙が終わってから、3次元の管理職になって仕事が忙しく今仕事の時はスイッチが入るんですけど、昔は一年中スイッチオン状態で生きていたんですよね。
だけど帰宅後、年取ると一気にオンからオフに来た時に反動が来て、日々の信仰生活のエネルギー出すのに努力がいるじゃないですけどバランスが本来のあり方じゃないのはよく分かっていて。
若い頃の猪突猛進状態は中道から外れていたところもあるので、中道の中に亀のようにひたすら戒律、これが多分Nさんが言ってたリズムなんですよね、亀のようにリズムを整えて、ひたすら淡々と前進していけるスイッチの入れ方を一年中修行者として淡々とやっていくべきなんだろうなっていうのと。
でも最初努力感なくやるのはすごい努力がいる、身につくまで。その時にキーになるのは何かと考えたら、一瞬一瞬の決断。
だから今回の「戒を何かを決めてください」って言われた時に、一瞬々の決断、亀のようにリズムに乗って淡々と、そこの道にずっと入り続け、「ちょっとでも外れたら決断して戻ってくるのがキーだな」なるほどと思えた感じですかね。
C 今日は最初から眠くて、ちょっとこれはと思っておりました。
一緒ですね。やっぱり歳をとってきたら晩御飯の後の時間がうまく使えなくなってしまってる。
戒を作って、その寝るまでの間の時間をうまくやりたいと思っても、やっぱり意思力が弱いんだなって思いました。
今ここでこれをやるんだと決めても、それに負けて楽な方に行く連続なので、頭でわかっていても、行動になっていない今、意思力をどういう風に行動に結びつけるかというのが毎日ちょっと課題になっています。
A 公案研修で体力と意思力が関連していると。
B そうそう、だから筋力は私も。
C それできたインスピレーションが運動不足で。
A あそこが痛いとか寝不足とか出るので。
C なので、そのリズムを持った1日を送れていないっていうのは、やっぱり運動を入れてないからだなとつくづく思っていて。
そこがその意思の弱さで、じゃあ直ぐやればいいのに、明日やろうに先延ばしになっているところが今日もそうやってちょっと眠たくなっているっていうのもまさに反映してるなと。
A 眠気があるの羨ましいぐらいですよ。
眠気があることは健康じゃないですか。
休めるから体が。
C いやいやいや。
この、この原曲全体を通して、出だしから始めて、先生の法力というものに対する姿勢がすごく静やかで抑えられていて、淡々と下からずっと行くイメージを全体に受けました。
A 初めの出だしが主の静かな深い決意を感じました。
C だからやっぱり「やってやるぞ」っていうんじゃなくて「1つ1つやっていこう淡々と」ってそういうのが。
B ほんとに地道に地道に小さい1個を積み重ねるというのが法力に繋がるんだな。エイヤーじゃなくて。全ての水をすくうみたいな、それでも淡々に継続的にするとか。
C そうですね。一個一個、本当に地道に地道に小さい事を積み重ねるのが法力に繋がるのかなと。
この曲の流れとか、その先生の声の出し方とかも、ずっと低かったですよね、そういうのを感じました。
A 深い決意がね。それって人類愛が根底にあるってことなんですかね?
多分そうですよね。
C そうですね。「法力を身に付けて人を救うんだとか、良いアドバイスができたら嬉しい」とかあるけど、もっと地味でいいというか、そんなに救ってやるんだじゃなくって、「ほんとに日々の地味な地味な良き思いを出していくことが自然と法力になってるのかな」っていうのを思い浮かばせるような曲調。
B 地味で当たり前の世界っていうか本来がね。そういう感じがすごいした。
当たり前でね、淡々と努力続けたこと自体が当たり前で、それが瞑想の無我観の時もそうなんですよね、あそこに繋がっていくような感覚で。
A 利自のところが疎かじゃないっていうか。
利自即利他の全部が主は繋がっていて、日々の努力が利他に全て繋がる感じなんだと思うんですけど、自分の場合だと利自が弱くて、行動力とかちょっと天狗的な方向に行きやすいのかなと皆さんのお話を聞きながら気付きました。
【グループ3】
A 「法力」を聴いて始めの導入の部分、「ふーん ふーん ふーん」がどういう意味があるかと考えていて、歌詞が全て研修のような導きの言葉が余すところなく入っている。
「欲」のところは、微かに誤魔化しが入っていたりすると思うんですよね。頭のどこかには。誤魔化しが入っていると気づくんですけれど、目をつぶるということがおきがちだと思うんですね。
八正道で正しさを点検することがあるんですけれど、正しさの精度のところ、誤魔化しがどのくらい排除できているか。
歌詞の通り「欲」を抑えて戒律を守って、精進を続けるなかに、「法力」が生まれてくるんだなぁと。でも、「法力」を得ることが目的ではなくて、後づけのように授かるものなのかと思う。初期のころ「戒体」ができるという話しを聴きましたが、それに近いのかなと思いました。
修行を続けて悪しきものから、自然と距離をとることができる、人格を落とすようなことが寄ってこなくなる経験を皆さんもされていて、「法力」を得る修行の途中で起きてくることなのかなと。
嬉しいことではあるけれど、慢心してはいけない。謙虚さを持って、まだまだ、道の途中だなと思って、そのことを自覚して修行を続けていく。
この、「電撃一閃」という言葉はよく聞くのですが、
「これ、なんですか?」と聞かれると、この言葉は真理の光があたると、善悪が浮き出すので、悪魔、妖魔の姿が露見して去っていくのかなと、思いました。
B 私は、曲全体を通して、「修行論」というように思いました。『うん。うん』というところで、私は悩みとかがよくでるタイプで、戒とか守れないタイプなんです。
潔さがなくて、完璧主義だと難しいというか、結果に執着しちゃう妖怪性というのがぬぐえなくて、そうすると、結果として迷いになるんじゃないですか。
それをきちんと、切れないから、魔が入ってくるというか、それでグタグターといってしまうことがあるんですけれど、なんか、「うん、うん」と雑草を抜くみたいな、そういう姿勢が求められているのかと思いました。
最初の「魔になど、負けるわけには決して参らない」とCDで聴くと「あー、なんて高い境地なんだと思ったけれど、私達がそういう心を持つべきであって、私達も修行者ですから、悩みがでてきても負けるわけに参らない。
たかが、人間界の欲と思って、人間界の欲と思って奮いたたせる。だから、それを歌詞にいれてくださってる。
「六大煩悩」のパートが自分に言い聞かせてくれている。
あと、印象に残ったのが、「人間は、亀のように」と一拍おいて歌われているのが多いじゃないですか。この辺で六大煩悩と戦ったから穏やかになった後の感じか。「電撃一閃」は悩みとか、教えとか、法の力で一刀両断するということなのか。
歌詞全体で電撃一閃は、自分が修行したいから、悩みを断ち切りたいからではなくて、明るい未来に変えたいから。歌詞全体が修行論になっていると思いました。
C 私は、この曲を聴いて、自分がいかに修行していないかと反省しました。ただ、一言。
家でCDを聴くのと、精舎の礼拝室で原曲を聴くのは、全然、違っていて、一つ一つの歌詞が、解説とかもあって、じっくり聞かせていただくと、「あー、そうなんだ。そういう意味だったんだ。先生のお気持ちが少しだけわかった」と。
家で聴くのは、ものすごく表面的に聴いていて、ここに来て原曲研修を受けて、初めて気づくことが多い。ありがたいです。
D 恐縮ですが、一言だけ言わせていただきます。
私は、この研修の準備をさせていただくのも修行と思っていまして、この「法力」というのを、私自身、自分なりに考えたこと、思ったことを研修中にお話しさせていただいているので、ありがたい修行をさせてもらっています。ありがたいにつきます。
※法談はいろんな話が出るので、あくまでも個人の意見であり感想です。こちらで適宜編集させていただいています。

