原曲「預言者」体感研修①

2024年2月29日 渋谷精舎

【個別の感想】

○誰も理解してくれる人がいないという孤独な状況のなかで主は戦われたことを考えると、私には主がいて、法友の皆さんがいて数多くの光の武器も与えられている。それがどれだけ恵まれているのかと改めて感じました。

○愛から慈悲に至るまでの過程、凄い悲しみがあるじゃないですか、上から注ぐような愛の御存在になられるまでにはこういう苦しみの期間があって。神の深さというのを感じました。

○ 神の乳房にという歌詞のなかに、私たちって主に思いっきり受け止めて貰えている、主にお乳をいただいているという、この機会が原曲なのかなというふうに感じました。

与えられたありがたい機会なので、原曲を思いっきり学んでいきたいなと思いました。

○先生のお若い時の詩ということで、人間としての葛藤がいろいろと垣間見れた原曲研修だったと思います。

○先生は誰も頼る方がいなくて、でもついてくる人はいっぱいいて、本当に大変なことなんだと思って。

今、根本仏の悟りを得られて、降魔成道、大救世主になっていかれるそのお姿を、私たちは現在進行形で見させていただいているというのが、奇跡中の奇跡なんだなと、本当にありがたかったです。

○とても長い詩で、最初はよく分からなかったんですけど、すごい苦しい時代を過ごされたんだなって思っているうちに、本当に主は造物主で、その造物主がその立場をいったん忘れて、人間として長い苦しい修行の時代を過ごしてくださって、私たちにどうやって超えるのかというのをまざまざと見せてくださったんだという、すごい慈悲を感じました。

○今回の原曲は強烈で、お祈りをしている時も涙が止まらなくて、まだ、今、ハンマーで打たれた感じですけど、とにかく、思っていた以上に主が救世主になるまでの葛藤が大変だったっていうのが迫ってきて、来る時に楽曲「二十歳」を聞いていて、主が二十歳を越すと悲しみが増えると歌っていて、なぜ二十歳でそう思うんだろうと思っていて、今日、参加したら、21歳でもう予言者になる予感がしていたと、そのあと大悟された後も一人だったと。

本当に想像もつかない険しい道を歩まれてこられたんだなって、胸に迫るものがありました。

で思い出したのが、2、3年前の説法で平凡からの出発の断崖絶壁を登る表紙の経典を持って、あなたがたは平凡からの出発を勘違いしている、なだらかに思っているけど、本当は断崖絶壁なんだと。で、その時に、私はまだ頂上に上っていませんとおっしゃったんですよ。

21歳から27歳までも壮絶なものがあったのに、まだ、頂上に向かって昇っているんだなと。

前人未到の地を、主は独りで昇っていらっしゃる、今もなおそうだと思った時に、なんて自分は甘かったんだろうと、自分の甘さとか、人間として生きればいいやという感覚があるので、反省と奥にある愛の深さが相まって言葉に出せなくて、胸にぐっと来た感じでした。

○普通、神よと呼びかける場合、男性人称で言うと思うんですよね。で、乳房を吸いたい、母に向かって、抱き留めて欲しいというところから始まっているんですよ。その時にまだ自信がないのが全体に表れていると思うんですよ。

ちょっとこけても受け止めてくださいっていう、そういう感じもあったんだと思うんですね。でもそれは抜けているから正直に表現できる、そうじゃなかったら言えない部分かと感じました。

あと、思ったのは、最近の若い天狗さんたちはすぐに神になりたがる。で、あなた達、こういう経験をしたことありますかと、問いかけてたんじゃないかと思いました。

○最後の歌「ただ一人往く」、それを聞いていたら、「先生、また一人で行っちゃったと思って悲しくなっちゃって、置いていかないでって!すごく悲しくなって。

今度は宇宙規模の何かになるために、一人で孤独な戦いをされているんじゃないかと思って、ごめんなさい先生、私たち何ができますかってさめざめ泣いてしまいました。

【自由法談】

H 歌の部分で、ハハハハって。

G、E あっ、ありましたね。

H その時の泣き声、思わずこらえきれなくて泣いてしまったというような部分が入っているかなと思ったんですよね。何回も繰り返しているのを聞いているうちに。

G 今回の悲痛な叫びって感じですよね。

H その時はそういう心境だったんだよと、提示できるところが、もう抜けている、だから言っても恥ずかしくない。

G 「自他共に私の人生は、意義あるものとして認められたでしょう~」のあとに、あ、あ、あ、ってあって、苦しみのような感じ。

H この世的に、ミレーにしても、モーツアルトにしても評価されているところがあるじゃないですか。でも、その時の先生って、一介の商社マンで全くそういう部分がないんで、どうしたらいいんだって。

G だって24歳ですもんね。

H せめて、何らかの称号が欲しいんだって、後で、悪魔から攻撃される部分もあったかもしれないですね。

でも、それも正直に歌にできるというのが、歌にして教えていただけるというのが凄いな。

G 主ってだから、いつも裸ですよね。
受験家族のレクイエムでも、正直に隠すこと何もないと書いてありますよね。

I Aさんがいつもそういう感想を持つよね。苦しい時は苦しいとおっしゃる嘘がない、正直だと。

A 赤裸々に全部ね。

G そこが人間に寄り添ってくれている感じがしませんか。私たちの気持ちを分かってくださっている。

A もともと完全体で生まれて完全に終わったという感じではなくて。

G 人間として生きてくださった、同じ苦しみを体験してくださった。慈悲ですよね。

I 凄いよね、私には何もないんですって。

皆 そう、そこ!そこ!

G そこ、先生もそんなこと思っていたんだって。

I でも、確かにこの世的に言えば、確かに何も持っていない。財産があるわけでもないし、人脈があるわけでもないし。

H 今の自分には何もないんだというところが、その後の飛躍に通じる。出来上がったら高みもない。

E 唯一頼りにしている聖霊の言葉が、ときに変わって悪魔の声になる。唯一頼っているものなのに。すごい辛いと思うんだよね。

I 三次元的には何にもなくて、唯一あるのは、三次元じゃない聖霊の声。目に見えないもの、それすら自分の心の状況によっては変なのが来るっていうね、すごい修行をしてる。

G 攻撃が来てるものね。まだ、救世主として立つ前に。

H だから最初のほうに、最後にもありますけど、できることなら少し休ませてくれ、甘えさせてくださいってね。

G 胸にすがりたいですよね。

H それを正直に言えるのが凄い。

G 普通は恥ずかしくていえない。

I ジョン・レノンの霊言もすごかったよね。

F 私の20代の頃を思えば、キラキラな人生を生きたいと思っていた。でも主はあえて人類を救う、その時は預言者とおっしゃっていましたけど、人の役に立つ仕事ってきたないじゃないですか。

そこにあえて踏み入ってくださった主の覚悟、選ぼうと思えば、キラキラのほうを選べたのに、辛い、孤独な仕事を選んでくださったというのが、そこで、ずっと打たれっぱなしでした。本当に主は凄いなって。

C 先生がどこまで自覚されていたのかなって思うんですよね。

造物主だとは認識されてないと思うんですよね。だから予言者ってなっているんでしょうけど。
前は仏陀、ヘルメス、王様だったんですよね。今回は普通の立身出世みたいな感じじゃないですか。

で、去年のこの時期のこと、どういう御計画だったのかって、最後、神道系のああいうのもあったし、格俳句なんか見ると、最後の最後で、すべてお見通しだったのか、あえて見ないふりをしてらしたのか分からないけども、深すぎて中々分からない。

この予言者はピュアな時の素直な気持ちなんだろうなと受け取るんですけど。

H そういう心情だということを隠さない、自分は別格じゃなくて、こういう心境だったんですよと教えていただける。悟りには葛藤が必要なんですよと、それも言われているんじゃないかな。

I 結局、いろんなものを捨てられますかってことになるんですよね。この世的なものを色々捨てて、先生の人生って、ずっと捨ててきた人生じゃないですか。

恋人とか、幸せな結婚とかも、全部捨ててる。

降魔成道って、ここからさらに2年ぐらいあるんでしょう。

あと2年くらいこんな苦しみが続いていて、そして預言者から救世主になる道があって、そこから地球神とか造物主とか、ずっとこう続いていくから、先生って、この時期こうだったとかあまり言われないけど、こういう苦しみとか、孤独とか、ずっと持ってこられたのかなって、家族を持っても、子供達とか分かってくれるどころじゃないし、多分弟子たちも分かってくれないしみたいな、そういう人生をずっと歩まれているんだなと思う。

H 映画のシーンで、1人で歩かれていく、しっかりと弟子たちは、その背中を追ってくださいよと言っているような。近道しようと思わないで、背中を見てついてきてくださいってことかなって思った。

背中さえ見ていたら大丈夫だから、変なところにはいかないからってことかな。

G 北極星としていつづけるという感じですよね。皆が届かなくても、こっちだよって指示している。

H 逆についていくほうも、間違いやすいですよ、滑りやすいよ、だから変なほうにいかないでね。

E 原曲研修は先生の「あ~」とか「は~」とかは歌詞に入れて欲しい。ここには入ってるとか、見て分かるんで、もし可能なら、先生はそうやって歌っているので、入れてほしい。

H 先生、原曲で歌うときに微妙にスピード変えたりとか、間を溜めたりとか、あれ、絶対に意味がある。

微妙なんですよね、歌詞だけでは分からない。

G あと二回聞きたい、これ長いから、聞き逃しているところ結構ある。

E 日蓮のところは凄い強くおっしゃっていた。だいたい全体的に切々と歌われているのに、日蓮は凄いなというのが印象的。

G イエスのところから強くなってきてる気がした。こう上がっていくように。

H 楽曲になってしまうと普通に歌われてしまって、そのへんは分からないよね。

I  やっぱり楽曲とはイメージは違うよね。

F これに関しては、先生、泣いてらっしゃるのかなって。

G 祈りも入ってますよね。「道を開き賜え」って、祈りが入ってる。

I 予言者になりなさいって神から招命があって、それでこんなに苦しんでるわけでしょう。

それなのに、最初から最後まで神にたいする絶対の信頼があるじゃない。この苦しみとってくれないかなって言いつつも、絶対的な信頼がある。

H そうだよね、抱きしめてくれたらまた行きますよ、みたいな。

I 苦しみの元は神様で、神様がやれっていったから苦しんでるんだけど、でもその神を信頼していて、先生神様なのだけど、一人の信仰者としてみても、やはり頭抜けた信仰者。

G 21歳で予感してて、予言者として生きろということを明確に自覚しているということが、神の心が分かるというか、同通してるというか、そのピュアさが半端ないんだなって感じた。

F ニュートン、モーツアルト、ミレーの人生って美しい人生かもしれないけど、主の一生を思ったら苦しみもあるんだけど、神のご計画という観点から見ると、宇宙的な美しさというか幾何学模様みたいな、私たちには計り知れない美しさがあるのかなって思って、だから私たちが今、つらいことがあったとしても、それも神の御計画のなかの一つを担っているのかもしれないと思ったら、くじけずに頑張っていけるような気がしました。

美ということに関して、もっと深い聖なる美ってどういうことなんだろうと、もっとそれを突き詰めていけたらなって思いました。

G 至聖までいってるということですよね。

G 意外だなって思ったのは、私はそれだけの器ではない、それだけの愛の器ではないっていうところが意外だなって。やはり救世主と覚悟したときに愛の器がバーンってできるのかな。

I 愛の器も私たちが考えている器と、先生の愛の器って、地球全部だから、とてもじゃないけど、広げても広げても小さいって感じじゃないの。レベルが違う。

I 急に霊道が開けて、あなたはこれを伝えるんですとか言われちゃったら、どうします。

あ~、いったいこの世の誰が私を理解しえようっていう、このあ~いったいってところ、すごくなかったですか。

振り絞るような感じだったんですよね。

H 自分は分かってくれると思って、友人に本を送ったら親交が途絶えたみたいなことだったから。そして、変な風に見られたって分かったんですよね。

I この世的にもすごく勉強されてて、常識とかもすごくあられた方が、神様とかは信じていらしたと思うけど、そういう真逆のほうに入っていかれたわけだから、そう簡単に軽いのりで、神様降りてきた~とか言えないよね。

H だから選択ですよね。私はそれだけの器ではありません。一人の男性にしかすぎません。
こっちを取るのか、神を取るのか。

I 神よ正しき道を示したまえって、神に聞いている段階ですでに神のほうを取ってるよね。
そっちを選ばないと、神に聞かないよね。

最初と最後が神よというところだから、そういう方なんだよね。

A あなたがたも予言者として生きなさいと言われている気がして。
神の言葉を託された者として、たとえ茨の道になるとしても、一人の予言者としての使命をはたしなさい。

G ついてきなさい。この厳しい道をついてくるのを願われている気がしてならない。

A 先生みたいなそんな霊的な能力はないから、降りてくるわけじゃないけど、主のお言葉が誰にでも分かる形で示されている。そういう意味で、それを読んでいる私たちは予言者ではあるかもしれない。

G どうしても執着があって3次元的なものから離れられない私たちがいるじゃないですか。

主が、生きざまで葛藤乗り越えて、一人で歩いてきたところを見て、地獄の法の最後の「救世主からのメッセージ」で、一人だけでは今回のメシアは仕事が果たせないから、皆で広げてくださいっておしゃっている、この予言者の主の乗り越えていく辛さを私たちが励みとして、あなたがたと同じだったのだからいけるよって手招きしてくださっているような気がします。

I 最初に先生が一人で立ってくださり、いろんなことがあったけど、それを全部受け止めてくださり、教団を作り、弟子たちが迫害されないように、配慮をしてくださり、それで私たちはやってこれている、弟子たちの苦しみとかも全部引き受けてくださっているのかなって。イエスの時って、もっと弟子は大変だったんじゃないかな。

G 当会も分からない、キリスト教みたいな世界宗教とかになったら大変だと言われているから。
そういう時期のまだ途中ですから。

J  主が全てを背負っておられるというのを、改めて感じさせていただいて、私たちも、伝道で辛い思いもありますけど、主はすべてを背負ってくださっている。

凄い時代に生まれさせていただいているから、私たちの力で少しでも光を広げたい。

来年は神戸正心館と天御祖神祈念館が建って、日本の国をお守りくださるんだと感動したんです。先生の計画通りに来ているんだなと。

皆さん、一生懸命献本されていますので、少しでもお手伝いしたいという前向きな思いはあります。

I ミダス王の霊言で猶予期間は今年までという話はありますからね。

G 心の挑戦の最後のほうに、世紀末でいろいろあるだろうけど、基本は自分の心を磨いて、それで広げていくことと書いてあるから。ちゃんと自分たちの心も磨きながらやっていく。

I  やはり、そこのところはできていなかったかなと反省はありますね。

G 「宗教の挑戦」260ページにあります。

I 「信仰と愛」の論点のなかに、自分たちは間違ったことをしてきた。世紀末現象の犯人は自分たちだったという反省が入らないと、奇跡の続出にはならないみたいなことが書いてある。

G 今月の心の指針、怖いですよね。
 神様の悩み。

I 人を救っているつもりでいるけど、心の修業できてないよね、みたいな。

H 自分たちは学んでいるつもりでも、特権階級になっていませんか。

E 法談は自分では気が付かない気づきをいただけるので、本当にありがたいです。

※法談はいろんな話が出るので、あくまでも個人の意見であり感想です。こちらで適宜編集させていただいています。

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