原曲「さらば、うぬぼれ天狗」体感研修

2025年1月13日 渋谷精舎

A 信仰天狗って肯定的な意味でみんな捉えていると思うんですけど。信仰天狗は悪で天狗です。

歌詞の最後のほうに「あ~、信仰天狗よ」って言葉が出てきて、その後、本来(未来)の道を見つけ出せってあるじゃないですか。だから信仰天狗は本来(未来)の道を見つけ出していない。

で、映画で信仰天狗になれって言ってるのは、これ自分の考えですけど、天狗がいます、で天狗だから、まず信仰天狗になりなさいよっていう先生の方便があって、でも信仰天狗は天狗でしかないから、人間になってないっていうことなんですよ。

この歌の歌詞って三部構成になっていて、最初に折伏やっているんですよ、それから「さらば、うぬぼれ天狗。自分を神だと思ったか」ってところで摂受、教え諭すってことをしていて、で、その最後の「さらばだ、うぬぼれ天狗、悪を犯すなかれ」っていうところは、総裁先生からの天狗への祈り。このようになりなさいよっていうふうなところで締めくくられているんですよ。

で、その最後の二行のところで、信仰天狗よ、本来(未来)の道をみつけだせって言う形になってる。信仰天狗も含めて全ての天狗よ、本来(未来)の道をみつけだせって形で締めくくられている。

B 天狗はずっと天狗なのかな。

A 自分中心というのを捨てられなければ、ずっと天狗ですよね。天狗って反省できないっていうじゃない。妖怪もできないですけど。それって、自己中心だから、反省基準も自己中心なんですよ。

C 反省しているけど、したことになっていないのか。

A 本来の反省というのは、自分と神仏の心を照らし合わせて、そのギャップを、思いと行いの両面から見つめなおすっていうことだけど。

自分の実体験として、天狗の反省というのは、いかに自分を利することができたかっていう視点での反省です。歌詞に「騙すなかれ」ってあるじゃないですか、天狗って騙すんですよ。

C 確信犯的にだますの?それとも自分は騙しているつもりはないの?

A 自分は騙しているつもりはないんですよ。信仰天狗というのは、自分の下にいる人間っていうのは、自分を利する必要がある。

自分に利することができなかったとするならば、それを利するようにするためにはどうしたらよかったかっていう反省をするんですよ。

C 基準が違っているってこと?

A だから自己中心なんですよ。主にいかに認められる自分を作るかっていうところに下を使う。

すごく不思議だったんですけど、反省していると言っていても、側で見ていて、何を反省しているか本当に分からなくて。どういうふうな反省をしたらこういうふうになるのかが疑問だったんですけど。

B 事実を捻じ曲げたりするの?

D 事実が事実でなくなっちゃう。

C でも、本人にとっては事実なんでしょう。

D 目的達成が彼らの・・・・・

A 結果優位だから

D 心が分からないのは確かだよね。だから理解力はないよね、人間の気持ちの。頭はいい、何パターンも、10くらい先を読める。

C 遠眼鏡を持ってるんだ(笑)

D 自分が人にどう思われているかについては敏感。

C まんま、妖怪にならないための言葉じゃない(笑)

E フォロワーがどれだけいるかっていうところ。

B テレビ見ていて思った。 テレビに出ているコメンテーターって、みんな天狗さんが出ているんだよね。天狗さんだよね。

C 総天狗化だから。私たちもそうだし。

E だから、視聴率が何パーセントかとか、もうそっちのほうにどんどん導くような、ある意味洗脳が入っているから。

A そういうことを思いだしながら聞いていました。

C 信仰天狗って、天狗が目指す先が信仰天狗かなっていう認識じゃない。それを目指すんだって思っていたら、これは先生の方便っていうか、一里塚的なものでしかないってことですよね。

B 人間にどうやってなるのかな。

A,C,D 地道な精進

A 地道な精進なんだけど、まずは自分が存在している理由が、利他のためっていうところに気づくことだけど、そこが難しいんですよ。

自分がやっていることがリーダーのためになるんだって思って、人を自分の自由にするっていう反省をするから。

F そういう人に対してはどう接すればいいんでしょうね。

D 最後は戦いになりますよね。

C でも、たいてい負けるよね。

A 関わらないのが一番。念力合戦になると負けちゃうので。そういう人たちからは距離を置くしかないし、でもある程度学びにはなると思うんです。

そういう人たちと接するということは、おそらく自分のなかにも天狗性があって、それを客観的に見せられているということで、それを自分の糧にしなきゃいけないっていうことですよね。

C 歌詞通りにいけば、まずはコテンコテンにやられなきゃダメでしょう。でも、強いからさ、そんなのやってたら返り討ちに合う。

A でも、天狗の高転びって言うから。どっかで勝手に転ぶんです。で、その後、自分で反省する以外に、おそらく道はなくて、で、そこの道に促すために祈りっていうのが最後にあるんじゃないかと。(歌詞の最後の部分)

E 難しいけど同じ土俵に立ったら負ける。客観的に、第三者的に全体を見てね、やっていかないと、当たらず触らずの距離感も大事になってくると思うんだよね。

A そうですね。

C なるべく高いところから落っこちるように、思い切りおだてるのは?

E それをやると自分も落ちちゃうよ。自分も変な方にいく恐れがあると思うよ。

C そうか、なるほど。

A しょぼくれた背中がかわいそうっていうのはあった。だから、純粋性はあるんですよ、そのへんが憎まれないところで。天狗性って、結局認められたいほうじゃないですか。でいくと、結構、幼児性なんですよ。

多分、子供のころに認められなかったとか、過去世で認められなかったとか、そういったところをずっと持ち続けている。

でも、純粋性はある。矛盾していますよね。でも、やっぱり悪は悪だから。歌詞のなかで明確に言っていますよね。

C 信仰もなければ仏性もないって言われているんですよ。

A 愛がなければ、人間としての機能として仏から頂いている愛を流すっていうのを、それを堰き止めているというのは違いますよねっていう話しだし、人間じゃありませんねっていう話しになりますよね。

C じゃ、仏性を取り戻さないと天狗じゃなくならないということですか。

E 自分のおかしなところに気が付かないと直しようがないね。

C 皆で仏性を取り戻さないと。じゃ、次は。

F 今回二度目なんです。まず、出てきた言葉が支配って言葉が出てきて。その支配っていうのは、母が「ねばならぬ」でずっと来ていたから、母から支配されていたなって思っていたんですけど、実は、それは、自分が家族に対して自然にしていたことに気づいて。

それが今回は、「私の言うことを聞かねばならない」くらいまでの思いが、心の中から湧き出てきて。これは一体なんだろうって思ったんですよ。

「仏法真理を学んでいる私のいうことが正しいから、家族みんな私の言うことを聞け」っていう感じのもの。

それを、じゃあ、どんなふうに変えていかなきゃいけないのか。主は愛っていうところで、共感性を持って、相手の立場を考えてって教えてくださっているのに、自分は真逆で、てっとり早く自分の言うことを聞くのが当たり前でしょうっていうふうに、どんどん家族に投げていた。

もう、今回は反省が出てきて、主の愛を感じることができて、私たちの成長を望んでくださっている主の愛が根底にあるからこそ、自分を変えることができる。

そして、家族に対して今までごめんなさい、私が支配していましたっていうことに気が付いて、涙が止まらなくなりました。

で、こういうことを積み重ねていくことで、天狗性を他から発見するのではなく、自分で発見することで世の中を明るくしていけると思いました。

C まさしく信仰天狗だったんですね。先生の教えで裁いて。

F そうなんですよ。

C それはあるよね、熱心になればなるほどね。それで家族から猛反発を食らう(笑)

D やっぱり家族はまず自分をそのまま受け入れて愛してほしいっていうのがあるじゃない。それをしないと家族はきつくなっちゃうんで。

G 私は主人とは高校1年から付き合っていて、同じ年だともう対等になって、慢心、自惚れ。だから、主人に対しての感謝が少なくなっちゃう。それで、日記が出てきたんですよ。

それを見たら、高校の時のとか、もう顔から火が噴きだしそうに。好きだ、好きだって言われて結婚したみたいなつもりでいたら、自分も好きだったみたいな。

自分で自分の記憶をすり替えてるわ。怖いよ。妖怪だわと思って。好きだ好きだって言われて、しょうがなくつきあってこうなったはずだったのに、私も好きだったんだと。

それがやっぱり慢心しているなと思って、感謝も足りないし、こうやって活動させてもらっているのも、もちろん主人のお蔭だし本当にごめんなさいって感じ。

家族に対しても、やはり法で裁いてっていう感じでした。自惚れて、慢心していて、私には謙虚さ、利他の思いとかが大切なので、そこを中心にやっていかないと妖怪性はなかなか払拭できないなって思いました。

D 私は80億総天狗っていうところで、昨日、ちょうど「十字架の女3」のR・A・ゴール様のところを読んでいて、そこで自給自足の生活がどれだけ大変か、アグネスもその体験をして、自分がまだ、欲がすごいあった、食べ物欲があったというとこで反省していて、そこを通して、80億総天狗っていうのは、今の文明を享受している人が皆主から基本的に与えられていることを忘れて生きているからね、太陽の恵みとか、水のありがたみとか、そういう小さなことに感謝できる気持ちを忘れているから、それが総天狗化なのかなみたいな感じがします。

長所で勝っていって天狗になっている部分と、全ては与えられているものなのに、当たり前になっていて見えていない天狗性なのかなって思います。

H 天狗の鼻を折るためにずっと法を説いてきた。それなのに、まだうぬぼれ天狗なのか。自分の中の天狗性に別れを告げなさい。それができないなら、私の方から君たち天狗とはお別れだ。

と、主に言われたような気がして。自分の中の天狗性と決別するのか、それとも主と決別するのか。あなたはどちらを選ぶんだ。みたいに選択を迫られているような気がしました。

E 最後の「さらばだ」なんかそうかも。

I 80億総天狗化っていうのがちょっと分からなくて。天狗っていうと、一部の才能ある人が、例えば芸能人とかそんなイメージだったんですけど、天狗っていうか、自己愛と置き換えたら、先生の言っている意味が、あ~、自己中かと。

でも、そんな皆、自己中かなと思いつつ、神様の目から見たらそう見られているってことは、そこに気が付いていない自分がいて、皆も気づいていないのかなっていうので、やはり深いなと思いました。反省しないと分からないんだなと。

E 人の気持ちが分かる人間にならなきゃいけないってこと。人の気持ちが分かるってことは、一方的じゃダメなんですよ。

それで、やっぱり、因果の理法、これをやったらこういうふうに相手は感じる、こうなるっていうとこまで考えていかないと、自分勝手にどんどん押しつけるような感じになると思うんですよ。

それを少しずつ、最初はできないかもしれないけど、やっていくことが精進かなって思いました。だから、Nさんがある研修を受けたら、人の気持ちが読めるようになったって言ってたじゃないですか。

その読めるから分かるところまで、まだちょっと一歩あるのかなって思いました。で、その読んだことに対して、どう自分が対処するかっていうので、またいろいろ変わってくるんじゃないかなと。そこのところは本当に修行かなと思いました。

J 天狗は所詮、信仰天狗にしかなれないのかな、人間にはなれないのかなって研修中に思っていたんですけど、法談で疑問が解消されました。

80億人総天狗化って言われているけれども、皆、自己完結の中で生きていて、それが自己愛で、小さい枠の中で、劣等感とかいろいろあるけれども、新しいものを受け入れようとすると、その自己完結が壊れちゃうから、皆、小さい枠の中で生きているんだなって思ったんです。

菩薩の条件のご法話抜粋の中で、未完成な自分っていうのが、あっと入ってきて。で、思ったのが、そもそも地球っていうのは完結しないように作られているんですよね。

進歩と調和の真逆のベクトルで生きてて、永遠に修行が続けられるように、修行の星として存続できように、不完全にあえて作られているのに、自分がもう無意識のうちに、何十年も生きてきて、経験とか知識とかで、いつの間にか完結しちゃっている自分というものがあって、宇宙の理法に反しているから天狗は自滅するしかないっていうか、幸せにはなれないんだなっていうのを思わせていただいて。

私も家族に対して、自分は仏法真理を学んでいるから、高尚なことをやっているんだみたいな感じで、夫に対して見下したりとか無意識にやってたかなとか、家族は割と自分の言うことを聞いてくれるから、自分中心に生きていたなって、そんなところを反省させていただきました。

C 反省もするけど、それが自分軸なんだよね。自分軸で反省するから、本当に自分が反省しなきゃいけないところとか、傾向性のところが発見できないままに、多分、自分に都合のいい反省をしているんじゃないかっていうのは思っていて。

じゃ、どうしたらっていうときに、人とぶつかったりとか大事なんだなって。

人に何か言われたりするのは嫌だし、ぶつかるのは避けたいけど、でも、その時の自分の心の反応、そこに自分の天狗性や、裏側傾向とかを表すものがある。それは仏が創られた世界の意味の一つでもあるのかなって。

私は支部に行くのが嫌で、居心地が悪くて、いろんな思いが出てくるの、どんどんどんどん出てきて、本当に行きたくないの。

でも、逆にああいういろんな思いが噴出する場に行くっていうのは、自分自身が出している毒ガスの発見みたいになるから、ちょっと心掛けて支部にも行こうかなと。

いろんな思いが出てきて嫌だなで終らないで、そこをきちんと、自分がどういう思いを持ったのか、それは何を契機に思ったのかとかいうことを客観的に見ていくというのを続けていかない限り、自分の天狗性とかは払拭できないんだなっていうのを今日は思いました。

E 支部に行ってね、誰でもいいから話すじゃないですか。で、なんでこの人はそういうふうに言ってきたのかな、考えているのかなっていうのが分かると、お互い鏡を映すようにいろんなことが分かると思うんですよ。

相手を理解するっていうことは、今日の研修の中でも大事なんじゃないの。そのために話もして、じゃあ、なんで相手はそういうふうに考えて言ってきたのかっていうところから、自分に返ってくる部分もあるし、じゃあ、相手がそう考えているんだったら、こっちからこういうふうに言えばいいんじゃないかって、そういうのもあるんじゃないかと思うんですよね。

K 皆さん、天狗性に関しての自己反省のこの話の流れで、すごく言いづらいんですけど、最近、とある御夫婦の喧嘩のご相談を受けまして。

そこで、仏法真理に基づいて解決していきなさいよっていうことで言ったことが、この歌詞のなかに全部出ていて、凄い共時性で。

原曲を聞きながら、わーって頭を抱えたんですけど、でも、ご本人たちは自分に非があるなんて思ってもいないんですよね。そこから分かることは自分では気づけないってこと、誰しもね。

だから、やはり言葉にして指摘してあげることっていうのは愛で必要なんじゃないかとなとつくづく思った経験でした。

C そこで、いろんなことが起こるかもしれないけど、それもそれで次に繋がるからね。何もないっていうのが一番良くないのかもね。なんのトラブルもない人生を望むけどね、それだとよくないんだろうね。

K 客観的に見ると、この旦那さんの傾向性を修正するためには、この奥さんのこの強さが必要だろうなっていうのが分かるんですけど、それを言うと凄く怒るんですよね。

※法談はいろんな話しが出るので、あくまでも個人の意見であり、感想です。こちらで適宜編集させていただいています。

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