原曲「シャンバラ」体感研修①

2025年3月13日 渋谷精舎
A 意外と難しい感じがしたんですけどね。1回目聞いてさらっと流れちゃう感じだった。
2回目、3回目で総裁先生の気持ちにフォーカスすればわかってくるだろうと、見えてくるものがあって「シャンバラってなんだろうな」というふうなことはあったんですけどね。
どこかの場所、要はエベレストの地下にあるっていうことだったけど「そうじゃないな」っていう感じはちょっとして。
そもそも霊的な場所だから、その空間的には座標的にはそこにあるのかもしれないけど、それ自体イコール「エル・カンターレの心がそこにある」っていうふうなことだなと思ったんですよ。
そこの中から「エル・カンターレの思いが怒涛の如く光の実態として湧き出てきて、その愛の思いっていうのが地球を包んでいる」っていうか、地球を創ってるっていうふうに結論づけました、自分は。
B 私も「シャンバラって3次元的なものじゃなくて、異次元である」というところと。
あと最近よく考えているのが「自分は霊的存在である」というのが、小説「揺らぎ」も一生懸命、今読んでるんですけど「いかに自分が粒子であり、原子であり」という小さい小さい存在に自分を分割して考えていくと「常に動いているもので、宇宙の中のスカスカの中にいる自分である」っていうのをいかに体得するかというのを考えているんですけど。
それと合わせて考えていくとシャンバラの空洞というのも霊的な部分のスカスカの中にあるもの「自分もそこに同通して小さい自分になっていく」と本当に体得すれば辿り着くことはできるかどうかわからないけど、そのシャボン玉理論でいくと、体得すると「そのマルチバースのところに、ある日フッと飛んでいくことができるのか、シャンバラってそういう理論なのかな」って思って。
なのでその修行、1人1人そこに辿り着くための修行っていうのを「揺らぎ」とか、「十字架の女」の先生の仰ってる中に「時間も空間も超えていく」っていうところが大きなヒントなのかなって思いました。
うまく言えないけど「そのスカスカの宇宙の中にいる自分を悟ることイコール目覚めることなのかな」っていうふうにちょっと思いました。
C シャンバラのイメージの話になるんですけども、聞いていてシャンバラの風景が「十字架の女」のマザーとか修行星にかぶってくるところがあって、シャンバラはそっちの方にも繋がっているのかなみたいな感じがありまして。
「鳥たちも喋ったりして、目覚めよ目覚めよ」って言っていたり。あと「目覚めよ」って呼ばれても「目覚めない人がいるのかな」っていうところもちょっとどうなんだろうって思ってて。
歌詞を見ていてなんですけどね。「呼ばれたけど、でも目覚めよ」って言われても、どういうことなんだろうって、それがちょっと分からないとこなんですね。
もっともっと「霊的覚醒をしろ」っていうことなのか「本当はみんな実は呼ばれてるけど目覚めない人が殆ど」ということなのかなとか色々考えてたんですけど。
あと「洞庭湖」の名前と「シャンバラの洞窟」のイメージが、だから洞庭湖って「洞窟の前庭」っていう意味なんだと繋がって「なるほどね、どっかに洞窟に繋がるどこかがあるんだね」そのぐらいでした。
D 神詩会もそんなに参加していなくて、最近祈願とか受けて参加し話をさせていただく機会があって戸惑ってはいないんですけれども、皆さんの気づきがとても深くて本当にすごいなと思わせていただきました。
法談を読んで自分も法談している気分になって、皆さんの意見を読んで自分の中で誰もいないんだけれども「こう思うな」みたいなことを返答してるような感じで、神詩会の存在の大きさみたいなのを私はとても感じていて、本当にありがたいなと思っています。
今回は「目覚めよ、目覚めよ」っていうのは、私はとても愛の心が少なかったので、やっぱり「愛の心に目覚めよ」っていうことで「人類への愛とか、そういうものを持たないとシャンバラには入れない」っていうか、そこに入り込めない。
「そのキーワードが愛の心」っていうような気が私はしました。
E 最初メシアの法でシャンバラの話をいただいた時に「招待されないといけないとこだから、もう自分とは無縁のとこなんだな」みたいに考えてたんですけど、確かに招待されないといけないところではあるんですけど、みんな本当は行けない場所なのに「先生が原曲と映画とかを通して視覚的にそれを教えていただける」のは本当にありがたいなと思いました。
想像で「R・Aゴールさんの修行星がシャンバラみたいな感じなのかな」って思っていたんですけど、なんか全然違くて、「もっと愛に満ち満ちていて、すごい豊かな場所だな」っていうのを感じたんですけど「本当に自分もシャンバラに行きたいな」という思いを素直に出していいんだ、出して「どこまでも主についていきたい」って思わせていただきました。
F 外なるシャンバラとは別に、誰の心の中の宇宙にも内なるシャンバラがある。唯物論者の心の中にもシャンバラが眠っている。彼らの内なるシャンバラも目覚めさせなくてはいけない。
大多数の人は外なるシャンバラには入れないけれども、シャンバラを知ってもらうことにも意味がある。多くの人に伝えることで、霊的にシャンバラを護ることにもなる。
内なるシャンバラの主もエル・カンターレであることを忘れてはいけない。
「あなたが霊的に目覚めた後、地上で何をするのか、これからもずっと見ています」
G 「桃源郷を抜けたなら」と始まった時「ここにおいでおいで」「エベレストの中の空洞の中にあるんだよ」って教えてくださっていると感じました。
そのシャンバラの場所にいる人たちというのが「主を愛している人たちが集まってる場所なんだな」と感じて。
その修行の地で「瞑想したいのよ自分は一体何者か、本当の自分は霊体であるなんて」と初めてそういうものがあるんだって知って「仏性とは」ずっと学んできているけど全然分かってないけど仏性を掴める場所なのかなって。
仏性とは多分神の創造の力と同じもの。シャンバラには一部念力修行をやってる人たちもいると思うんですけど、でもシャンバラの中でも須弥山に入るまでは厳しいのだろうなと。
シャンバラのイメージが私もR・Aゴール星でしたが詩から自然が豊かに感じて。
なぜこういう修行する場所があるのだろうと考えたら、「自然の中に神の光が宿り感じることができるから仏性を掴みやすく修行が進むのかな」と思いました。そんなに美しい世界があるなら「行ってみたいな」という気持ちになりました。
もしかしたら「シャンバラってエデンの園、始原の理想郷に似てるのかな」と思って。「あなた1人がそこで目覚めて、それがどうなる、その答えを持って出ることになってるのよ」の箇所で「主は目覚めた人がいっぱい出て欲しいのだろうな」と思って。
「信仰薄き者たちへ」で10人しか信仰心ある者はいないって仰ってたじゃないですか。ある意味「目覚めた人」ってことなのかなと。
「1粒の麦がたわわに実る麦が出ることで、100粒蒔いて不毛になっても、その一粒を待っている」と何年か前にそういうお話あったと思うんですけど、多分目覚める事はこの例えのような凄い影響力になるのだろうなと思いました。
地球の心を聴いた時は「自分は関係ない」と思っていたんだけど「みんな目指さなきゃいけない場所なんだな」と原曲通して思わせていただきました。
H 私はシャンバラには「エル・カンターレがいらっしゃる」っていうふうに思っていて、シャンバラは実はエル・カンターレなんでしょうね、きっとね。
で、本当に「エル・カンターレの心、地球の心そのもの」で、転生輪廻システムを全部そこでコントロールされていて、でも今、転生輪廻システムが壊れそうだとか言われていて、そういうことを考えてたんですけれど。シャンバラはマハリシの霊言だっけ?
色々ちょこちょこ、それっぽいのは出ていたけれど、実際にこの原曲になったときに「具体的に映像的に表れてきて、掴みやすくなったかな」って思ったんです。
「自分なんかシャンバラは関係ないわ」って思っていたんですけれど、でもよく考えたら先生は映画を作ってくださって「地獄もシャンバラまでも描いてくださった」っていうことが私たちに対しての「愛そのものであるな」って。
すごい感謝の気持ちが湧いてきて。それにお答えしていくように、それなりにやっぱり精進していかなければいけないなって今回は思いました。
A さっき香りの話は出てましたけど、香りって感じました?
G 楽曲「花束のようなあなた」がシャンバラで先生がって待っていてくださってる感じて。その花かな?
A いや、シャンバラの原曲が始まったタイミングでお香の匂いが結構してたから、粋な演出だなと思ったんだけど演出じゃない。
他の方も香ったと仰ってたから、あれ?と思っているんですけど、もしかしたら、そういうのがあるのかもしれないですね。わかんないですね。
H すごいね、不思議なんですけど。そこへ行って帰ってきた人の話はまだ聞かないっていう。そこがね、ちょっとね。
A はい。ですよね。
H ね、そこがなんか謎だったのよ。
A なんか違う時空に帰ってくるんじゃないかなっていう考え方。
G この世じゃないですよね。多分。
A そうでしょうね。じゃないけど、1回入って覚醒する。目覚めると目覚めた世界が新しく展開されるから、世界自体は変わっているんだろうなと思うんですよ。
還るにしても、その元いた世界の軸とは違う軸にまた出てくんじゃないかな。だから、そういう意味でもゲートって言えばゲートと思うんですけどね。
F 「木々や小鳥たちも、みんな目覚めよう目覚めよ」っていうその全体の柔らかい雰囲気が、映画「宇宙の法 エローヒム編」の「ヒーム様」とみんな動物たちとかが、ああいう雰囲気に、なんか柔らかい感じにちょっと繋がった感じがしました。
A 主が作っている空間、主そのものがその空間であって「その空間が、そのものが目覚めよ」っていうふうに伝えてくれてるイメージでしたね。
で、イメージって結構いろんな捉え方っていうか見え方をするんで、画面で流れてる、ああいう風な湖や建物があってというふうなのも1つの見え方だと思うんですけど。
自分が見える見え方は「光の細胞がすごく一杯あって、細胞がどんどん光を増して、細胞分裂して、それが宇宙の一部として創られていく」というイメージだったので、宇宙って今でも膨張して創造されているじゃないですか。
その創造されている元っていうのが「創造主の思い」であって、それがシャンバラっていうものって多分いくつもあると思うんですよ、宇宙に。
で、そこからこういうふうにどんどん大きくなって広がっていくっていうことなんだろうなと思いました。
G 須弥山っていうのは、シャンバラの中の宇宙まで突き抜けた山ですよね。
A あれはあれで、同じ空間にあって見えるんだけど、違う空間にもあるみたいな捉え切れないという感じ、ちょっとするんですけどね。
G 須弥山が8次元以上の気がする。8次元はいろんな宇宙に行けるじゃないですか。時空間超えて。
だから仙人もシャンバラで修行しているけど、この須弥山って宇宙へ突き抜けたあの部分はそういう感じなのかなと思って。
宇宙の悟りの次元に行けるのが須弥山からなのかなって。
A そうですね。なんか時空間の捉え方って、どうしてもその3次元に生きているから、3次元的に空間で捉えるじゃないですか。時間も一直線で捉えるじゃないですか。
それに引っ張られて、本当の宇宙の構造のところをまだ捉えきれてないんだろうなと思いますね。
G 「宇宙人のリーダー学を学ぶ」で「時間はない」と言っていますものね。
A そうなの。だからこの3次元の空間と物質っていうのはエネルギーの現れでしかないから、そのエネルギーまで遡ってどういう形になっているのかっていうのが把握できないと、おそらくちゃんとした時空の把握っていうのはできないだろうなと思うんだけど、難しいですね、やっぱりね。
思慧をしてもしきれないっていう、やっぱり宇宙の悟りみたいな形になってしまうと思うんで、難しいんだろうなと思うんですけどね。でも、その縁になるんだろうな、このシャンバラっていう曲は。
G 各分野のアデプトがいらっしゃるんですものね。
A そういう意味でも、「あなた1人がそこで目覚めて、それがどうなるのか」ということは宇宙の構成要素の1人として「自分がそこに行って目覚めたことによって宇宙が創造されて、宇宙も変わる」ということを把握しろよということなんだろうなと思います。行ってみたいですね。
F シャンバラは平坦に広がっているのかと思ったら階層がある。そのシャンバラの中でも「すっと次元構造があるあるんだな」なんて、ふわっと思ったんです。
A この辺は多分、自分の悟りに応じて見えるかに関わる。
G 昔「エル・カンターレ信仰を深めるための研修」というのがあって自分が生まれる前にいた場所を瞑想して思い出すというのがあったんですけど、瞑想した時に山の上の教会にいるんですけど、周りがすごく深い谷底で修行者が集まっている場所だったの。
今思うと人里離れているからシャンバラではないけど各宗教の修行者がいる場所もあるんだろうなと思うけど「修行場所って山なのかな」って、それ見ても思ったことありますけど、覚えてますか?生まれる前のいた場所とか。
あと主が「地球の心」をお話してる時に「服装が白いスーツで、ブローチが菊か法輪のようなブローチ」をしていたんですよ。何か意味があるんだろうなと思って考えているんですけど、なんですかね?
A 何か意味あるんでしょうね。
H 何色ですか。
G ダイヤモンドのような宝石。これ絶対意味あるなと思って。白いスーツも珍しいじゃないですか。だから無色、透明な世界と言いたいのかなと。
主は白なのかな?いろいろんな光線あるじゃないですか。科学者の人たちもいるし、芥川龍之介とかもいるし、各分野のアデプトがいて、アデプトの上がマスターなんですもんね。マハリシがまだアデプトだって言ってましたよね。
芥川はマスターなのかな?
A 明確には言ってない。
G 言ってはないけど、かなり秘密の人。
A あそこまで知ってればマスターな気もしなくはない。
G ですよね。そういう感じで、ちょっと白いスーツが気になりました。
※法談はいろんな話しが出るので、あくまでも個人の意見であり感想です。こちらで適宜編集させていただいています。