原曲「天才でごめんなさい」体感研修④

2025年1月31日 東京正心館
A ぱっとみた時、総裁先生がご自分の子供の頃のことを歌っているのかな、自分の顔のこととか生まれつきのことを言ってるんですが、支援霊の霊言を聞いたら顔を出さないでやっていて、支援霊も顔に自信がないのかと。
B 未成年だったし、支援霊がデビューした時は高校生だったから、呪いがくるから顔をださなかったんだって。
C 原曲は、支援霊のことを歌っているのか、総裁先生のことを歌っているのかわからなかった。
B 支援霊が「鏡川竜ニシリーズ」をみて、これになったと言ってたそうですよ。
C 先生の本当の姿はこうじゃないってことですね。総裁先生が小さい頃から自分に自信がないところがすごくあったんですね。 だから、主観と現実は違いますね
D だから、意味は、二重、三重にもなっていて、支援霊のことかと思ったら、先生のことのように思えたりしました。
A この「秋祭り」がでてきているけれど、秋祭りは日本神道のことを指していて、自分のことや、お子さん、周りの人に悲しさとか怒りを感じているのではないかなぁ。
都会のエリートや田舎のエリートの違いにも衝撃を受けていたよね。
C 私、この支援霊の歌を原曲研修前に聞いて、真っ青になりました。なんか、先生が私達や教団に対して言っているのかと思いました。
生霊に対しても、「いい加減にせいや」というお気持ちを支援霊に歌わせたのかと。個人的には、原曲聴いて反省しました。
C 劣等感が強い人は、親とか、周囲とかに、「私はこういう人間なんだ」と染み込まされていて、だから、「自分を良く見せたい」という天狗性に繋がっているのかと。
自分の深い劣等感からでてきているんだと、今日発見しました。そして、それを同じように子供たちに押し付けているのかとなぁと。
先生は、すべてを許してくださっていて、そんなことにこだわらなくていい、「無名の菩薩」として、与えられたことを、泥亀と言われようが、先生についていくしかないと思いました。
D 私がこの原曲の歌詞の中で一番目に入ったのは、「やって、やって、やりまくる」なんです。要するにこれだけでいいんじゃないのかって。自分の道をつきすむ。
あと、感じたのはもうひとつ。東京に、一匹の魚も住めなかった。私の父の実家は吉野川の上流なんです。魚がきれいに見えるんですよ。
天上界の川って、魚が泳いでいるのが、全部きれいに見えるんではないかと。仏性がそのまま輝いて見える。でも、地上は、輝くのは難しい。
その中でその人の霊性が輝く。その人の愛が輝く人。それが、天才なのかと。今からでも輝ける。いくつになっても輝ける。そう思いました。
C 原曲研修を受けている人に聞きたいんですけれど。先生の曲にホイホイホイとかでてくるじゃないですか。どういう意味なのかな?
A それは、原曲について詳しくブログを書いている方からお聞きしたのですが、ユダヤのヘブライ語で「神が来た」って意味なんだそうです。
C ドラゴンハートやウィズセイビアなど、いっぱいそういう単語がでてきますね。
ハハハ ハッハッハハハ~♪
D あの草葉の陰からのコオロギってどういう意味なのかしら?
C 生誕館の「あるコオロキの願い」がでてきて。まだ、受けてない。
B 私は受けさせていただきました。
A あれは天御鷲命様のことらしいです。顧問先生ですね。
A、B、 C あっ~!なんと、今回の映画につながった~!!
D お父様が亡くなる前に認めてほしかったなぁ。やっぱり、自分の子供というのがぬけきれなかったんですね。
B 今日は、いっぱいの気づきがありました。ありがとうございました!
A、C、D ありがとうございました。
※法談はいろんな話しが出るので、あくまでも個人の意見であり、感想です。こちらで適宜編集させていただいています。