原曲「天才でごめんなさい」体感研修⑤

2025年2月13日 大阪正心館
A:今日は2日目、一回目の感想はもうブログに書いちゃってるので、そこは端折って。自分の人生を思い出して、私は耳が聞こえないから、その分ちょっと出来ると、「すごいね、偉いね。」って、言われて育ってきたので、結構調子に乗ってるんですよ、小さい時から。
だから、周りから要求される基準がね、すごく低い。まあ障害者だからっていうのもあるんですけど、それでその基準を、たまたま私が超えると、「うわ、すごい!天才ね、偉いね!」って言われる。「私すごいんだ!」みたいに調子に乗ってくるんですよね。
で、調子に乗ってて、高校受験の時に失敗したというか、周りが、「賢い、賢い。」っていうから、私は賢いと思ってたけど、実際、高校入ると私よりもっと賢い人いるし、もっとレベルの高い高校なんかいっぱいあるし、私自分が入りたかった高校には入れなかったんですよ。
そこのギャップで、自分のことが、「あっ、大したこと、なかったんだ。」ってわかって、そこからは、もともと勉強が、理系が苦手だったので、理系の勉強はやめて、得意なことだけやるって決めたら、結構成績が上がってきて、何かこれ、自分らしくなってきたなっていう感じがありました。
で、「これなんでかな?」と思ったら、やっぱ人から評価されたい、予想を超えて、「偉いね。」って言われたかったっていう気持ちがあったなと思って、それを辞めた時に、ほんまに楽になったなっていうのを思い出して、これも天狗の気持ちがあったんだなと思いました。
あと、歌詞を見てて思ったのが、「何でもいいじゃないか」っていう歌詞あるじゃないですか?「何でもいい」と思ったら、悪いこともいいことも、一緒くたにやってしまうんじゃないかなと思って、自分も目標の実現のために、周りに迷惑をかけて、目標達成する人っていたりする、それはあかんのとちゃう?って思って。
講師の息子さんが言われてたという、動機とか、経過が大事だなぁって思いました。 で、自分自身が、結構怠け癖がある。もう暇な時間あったら、ずっと寝てたい、だらだらしたい。あかんなと思って。そこの怠け癖があるところ、鍛えたいですね。と思いました。
B:今日久びさに、研修に出たんですけども、まず曲の聞き方が、最初三曲目ぐらいまで、頭から上で聞いてました。
で、頭から上で聞いて、「難しいな、難しいな。」と思ってたんですけど、それを、「あ、違う。感性と悟性とおっしゃってた。」と思って、胸とお腹に意識を持ってきて聞くようにすると、ふっと入ってくるものがありました。それ1つ目、発見、今日ありました。久しぶりやったんでそれ忘れてました。
で、研修の中で反省することがありまして、私、英語を勉強するのが早かったんです。小学生の時から、英語を勉強してまして、だから中学は、学校の勉強を怠っても、ある程度点数が取れたんです。
でも高校になってから、それができへんようになって、周りができる人ばっかりやったんで、そこで成績の伸び悩みっていうのがあったんですけども、結局精進しなかったんで、そこからもう下がりっぱなしみたいなところはあって、それを反省しました。
得意と思っていることが、マイナスになるっていうことですね。やっぱり、コツコツと努力せなあかんというのはあって、それは今でも続けてはいるんですけども、生涯反省の一つとして。慢心、多分今世、それがあるんで、それを反省しました。
あとやっぱり、怠け癖も強いんで、時間があったら怠けちゃう。すぐにもうスマホいじってダラダラしてるっていうのがあって、そこはね、反省せなあかんなっていうのは感じました。
誰も見てへんところで、きちんと努力できるかどうかっていうのを、頑張らなあかんなとは思ったんですけど、そこが苦手かな?そんな感じですね。ありがとうございます。
C:原曲研修の、「復活の祈り」の短縮バージョンは、ずっと行かせていただいておりましたけど、今日、こういう会でっていうのは誘っていただいて初めてなんです。
今日、ちょっとびっくりしたような感じやったんですけど、私は今仕事をしてないですけれども、してた仕事が営業関係で、宝飾の販売の会社でなかなか厳しい。切磋琢磨に数字の世界ですよね。そこでずっと仕事をしておりました。
幸福の科学の会員として、伝道していきたいなという気持ちもありまして、そこで、100点満点の社員にならなければいけないっていう気持ちで頑張ってたんです。でもだんだん間違ってくるんですよね。
偉くなったらなったで、今度、人のことを考えなくて、自分自身の自己保身、それから「自分がこれだけ頑張った」とか、だんだん間違った方向に行って、まあ、天狗ですよね。
そこで足元をすくわれるようなこととか、色んなこと起きて、転落して、反省したりとか。やはり、今日の原曲聞いて、ばぁーっと、その時のことをいろいろ思い出して、家族のことで、会社を退社するようなことになって、後で、反省したりして、「あの時は間違ってたな。」とか。
今日の原曲を聞いて、いろんな考えが出てまいりました。感謝と謙虚さで、仕事をする間でも、いつも頭を打った時に、研修に行った時、感謝と謙虚さって出てくるんですよね。
でも、いつもそこで、またつまずいて、自己不信に戻ってしまう。もう徹底的に、この辺を、克服していかないといけないなと思って、今度また新たに仕事を始める時に、まず一歩進める。
本当にそこをしないといけないけれども、すごい商業的なんですよね。仕事の選択をどうしようかなって考えておりまして。
今日この原曲を聞いて、この方の、あの力強い、鬼退治みたいな感じの、棍棒で、頭バン!って叩かれたような気になって、「あ、またそうやって、壁を破って、一から謙虚に、また仕事をして、主のお役に立てるように、頑張ろうと思いました。はい。それだけです。ありがとうございました。
D:先生のロックな声を聞いて、高揚したといいますか、元気をもらえたんです。
で、どこの部分に来るところがあるかって、講師が先生も、小さい時から、鼻が低いとか、目が細いとか、そんなこと言われてたんだと思うと、私もよく、「鼻ぺちゃ、鼻ぺちゃ。」って言われてたんで、子供ながらに傷ついてたんやろうなっていうのを思い出したりもして。
そこで、主は努力に変えていかれたんですけど、そこは全く違うんですが。あまり、ちやほやされすぎるっていうのも良くないことなのかな?うーん。
でも、今、天狗性とか妖怪的なところを反省するために、まず気づかないといけないなって日々思っているんです。
で、「私が1番だ」っていうのは、あんまり、これまで思ったことがないんですけど、話をしてると、どこかで相手を見下しているようなところを持ってるなっていうのは気づくんです。
「私は真理を知ってる。」っていうのもあるのか、そういうところが、天狗的な部分なんだなっていうのと、人を見下す心っていうのが、天狗性としてあるのか、自分についてる悪霊的なものが言ってる、思わせているのかっていうところを、もっと自分で掘り下げていかないと、気づかない、分かってないんだろうなっていうところで、今日の、長所と短所をもっと点検していくっていうところが、まだ足りてないから、まだわからないのかなって思いました。
でも妖怪性もあるし、天狗性もあるし、いっぱい潜んでるっていうのは思うので、引き続き反省と、皆さんと法談すると、気づきもいっぱいいただけるんで、とてもありがたいと思いますし、これからも反省続けて気づいていきたいと思います。ありがとうございます。
E:初めて、こういう会に参加させていただきました。研修、ものすごい楽しみにしてたんですよ。曲も聞いたことなかったし、申し込んだ段階で。
それで、去年の12月やったかな、「さらば、うぬぼれ天狗」の、原曲の拝聴がありましたよね、儀式の中で。(※2024年12月8日「降魔成道記念日感謝式典」)
あれで拝聴しててね、拝聴してた時に、自分のうぬぼれた部分を、だから指摘されるんですよ。「おっ!あ、これや!」っていうのが分かって、それでこれ、ぜひとも受けたいと思いながら、まだ受けてないんですけども。これで、一応対で原曲聞いたことになるんですけども、今回この曲は長いですね。
で、色んな話が出てきて、原曲4回聞く中で、大雑把な話言うたら、一生の、なんていうか、天狗的というか、そういった面をずっと振り返らされた。そういう面がなかったかっていうのもね。今まで生きてきた中での天狗性の部分を、点検できたかなっていうふうに思いますね。
あとは、参考霊言のあの人の、この研修来る前に、まずあの歌を聞いて、そこから派生して、別のリズムのある曲とか、他の曲も聞いてるんですけど、でちょっと、横道逸れましてね。
「踊ってみた」とか、「踊り方教室」とか、やっとんですよ、踊り方。見てたら面白くなってくるんで、なんかこれあかん、はまると思って、あかんと戻して。
でいただいたCDを、車の中で何度か聞いて、ほかの人の意見も読んだりもしたけども、後半の部分ね、100才で天才、120才で天才、あのくだりのところは、なんかやはり応援歌かなっていうふうに、とらえてたんですよ。
ちょっと謎が多い歌ですけども、うーん…なんか、上を開けて、天に駆け上ってるのがあったり、あれ何?どういうメッセージなんかなってのは、ちょっと疑問も残りますね。
そういうことですので、だいぶでも、払拭されるつつあるかなと。まだ見えんとこあるんやけども。そういうふうには思っています。
F:僕は、4回目に拝聴した時、何か、「私のパンセ」を思い出しました。「天才だ、天才だ。」と、言われたいと思ってるけど、「なんで焦ってるの?」かなと思いました。
ゆっくりでも、泥亀でもいいのに、一歩一歩、前に進むことが大事。自分は何でも、普通の人と比べたら遅い。
例えば歩くこと、しゃべることも遅い。周りの人から見たら、もっと早くやらなあかんって言われてるけど、この原曲を聞いて、ゆっくりでもいいと思った。例えば100でも、110でも、120才でも、ゆっくり前に歩くことが大事だと思いました。以上です。
G:Fさんと一緒で、私せっかちで、自分の辞書に努力はない、みたいでして(笑)才能があれば花開く、みたいな、何か中身が抜けてて、このテーマの、努力、コツコツやるっていう、その部分を、自分がこれからどうやってやるかなあというところが…時間の使い方とか、そういうことを思いました。
あと1回目に聞いた時に思ったのが、これは努力することが楽しくなる歌なんではないかと。先生は、泥のように、来られて、なんか歌あるんですけれども、もう絶対後悔のない生き方をされてるんだなと思いました。うん、まあ自分は変わろうと。
で、劣等感でちっちゃくなりすぎてもダメですけれども、ある程度おおらかな、中道ですよね。おおらかな気持ちでいきたいなって。
もともとこんなんやけど。と思いました。 最後思ったのが、平凡性の自覚、っていうことを言われてまして、それが難しいなって。
平凡性の自覚、自分をものすごく知ってなきゃいけないので、本当に反省が進んでいかなければ、平凡性の自覚っていうのも、もしかしたら無理かなと思ったのと。
最後は、これは人生の意味。なんで生まれてきたのかっていうその意味を、あの世から生まれてきて、褒められるために生まれてきたんじゃないし、だから今自分が持ってるもので、最大限、頑張っていこうかなと思いました。
H:一番初めに、音楽祭でこの曲聞いたときはすごい衝撃で、「先生がこんな、思ってはんの?」とかと思って、びっくりしてたんですけど、家帰っても、ずっと考えてたら、「いやいや、先生はそんなこと思ってないよな。」だとかをずっと思ってて、で「やっぱり、絶対違うよ。」と思って、原曲研修受けさせていただいたんですけど。
私は川のとこ、「東京の川、綺麗になったけど、本当はきれいじゃないんだよ。」っていうとこが、こう見た目だけきれいにしても、本当はきれいじゃないっていうのが画皮、講師も講習も言うてはった、画皮の部分、やっぱりそういうのがあったらあかん、表面だけ繕ってたら、自分の中にもそういうとこあるかなと思ったし。
あと怠け心、それが天狗とは。怠け心が天狗性っていうのは、ちょっと「ええっ?」て。自分の中にもうやっぱり怠け心ってあるし、時間の使い方とか、そんなんとか、工夫してやっていきたいなと思いました。
誰か、「信者さんは、頑張って、頑張って、頑張ってしてる人が多い。」って、さっきそう言ってませんでしたっけ?
G:なんかあった、あった。
H:でも信者さんは、「時間を無駄にしたらあかん。」とかいって、ちゃかちゃか、ちゃかちゃか動いてるから、あかんとこがあるっていうのも聞きました。なんかゆっくり、ゆっくり、ゆっくりして、自分を見つめるっていう。
すぐなんか言ったら、「時間無駄にしたらあかん。」とか、先生の真似して、詰め込んだりとかするけど、それやからあかんとこがあって、やっぱり自分を見つめる時間、ちょっと余裕を持たせるっていうところっていうのを、さっきそう思いました。でも、余裕持ちすぎかなあって、反省します。
I:はじめ1回目とか聞いた時は、なんかうちには応援歌みたいに聞こえて、「めっちゃ応援してくれてるわ!」っていうぐらい、なんというか、すごく自分に甘いので、うち。「ああ、なんか応援してくれてはるわ。」って感じで、「どこが引っかかる、これの?」みたいな。
さーっときて、「いやもう応援してるよ。」っていふうに、「もう甘いなあ。」と思いながらやってたんですけど。 聞き進んでいくうちに、「天狗さんに効くよ。」みたいなこと、おっしゃってたんですけど、どっちかっていうと、うちの場合は、、やっぱ妖怪性の部分に気づかさせていただいてですね。
なんていうかな、自分をもっとよく見せたいっていう部分と、本当の自分っていうこのギャップの狭間というか、よく見せたい、いい人に見られたいっていうわけじゃないけど、いい人っていう仮面みたいなのと、そこまで全然実力が追いついてない本当の自分があって、それの、劣等感と理想の間ですよね。
そのところで同じように、「天才になりたいけど、天才じゃないよ。」みたいな劣等感と、ちょっとリンクして、反省させられました。
一番これって思ったのは、ここにある『妖怪にならないための言葉』の、「妖怪の現代的特徴を指摘すると、ゴマカシにある。うわべを取りつくろうのが、ことのほか上手である。」っていう、ここのところなんですけど、やっぱりこういう感じでちょっと、自分は上辺を取りつくろってたのかな。
実際の実力よりも、ちょっと上に見られるように作り上げてたのかなみたいな反省は、この曲でさせていただきました。こんな感じです。ありがとうございました。
J:最初聞いた時に、ロックっていうか、私はなんか、演歌のような、民謡のようなっていう感じがして、あの赤鬼さんのなんでしたっけ?あの「悪い悪いやつはいねえか」みたいな感じの、あれに似てるなあって、思ったんですよ。
そしたらその後から、インスピレーションを降ろしてくれた霊人の霊言で、「赤鬼さんに通じるところがあるんですよ。」って言ってるのがあったので、「おお、あながち間違いでもない気がする。」って思ったのがありました。
「自分の天狗性とか、妖怪性を反省しましょう。」っていうところでは、私もともと、親にあんまり褒められたことがなかったので、小さい頃、劣等感の塊だったんです。
で高校の時に、何かのはずみで、成績がすごいいいことがあって、そしたら先生がめちゃめちゃ褒めてくれた。
人生で初めて褒められたぐらいの喜びだったので、すごいうれしくて、普通は努力して、それで結果が出て、褒められてうれしいのは、まあ悪くないと思うんですけど、「褒められるために、頑張る。」みたいに、ちょっとそこで、主客転倒したっていうがあったかなあって。
でも実はそれ、今も取りきれてないような気がして、でも「そんなに私、できません」。みたいな、謙虚な仮面も被れる感じも自分はしてるので、天狗と妖怪性がブレンドされているなみたいな気がしました。
ちょっと気になったところは、最後の方に、「俺の青春を返してくれ。俺の中年返してくれ。俺の幼年期返してくれ。」っていう順番だったと思うんですけど、時系列じゃないんだなと思って、普通だったら幼年期返して、青春返して、中年返してくれっていうのかなと思ったんですけど、順番が違かったと思うので、そこが気になって。
だから、一人の人が言ってるセリフじゃなくて、いろんな人の、「私の幼年期返して。中年、あの時の思いを返してって、言ってるのかな?みんな頑張ろうね。」って思った、っていう感じでした。以上です。
E:救世主が、辛いっていう気持ちを全部、受け止めてくれてるっていうふうに…。
J:なるほど、いろんな受け取り方、きっとあるんだろうなとは思ったんですけど、それもありだと思います。
E:仏の目線っていうか、ちょっと複雑性ですね。
J:そうですね。いろんな見方がすごい、原曲全部そうですけど、見方がいっぱい、いろいろあって、でも、きっとどれでもいいんでしょうねとは思うんです。頭でっかちになっちゃダメだなっていう。
H:支援霊の思いと、先生と共同で作られましたって言ってたね。
G:うんうん。
E:ちょっと今日は、霊言のところが実り多かったです。
J:そうですね。あれでまた、違う目線で見れるようになった気がします。聞いてて、解説だけじゃなくて、霊言でさらに、違う視点みたいな。
A:「田舎者が都会人のふりをして、都会人が田舎者ふりをして、笑いを取るのが精一杯なんだよ。」っていうの、なんかお互いが、別々の仮面を付けて、ごまかしやってるって思って。
J:そう笑いを取るっていう意味がいまいちよくわからなくて、「笑える?」って思いながら。
A:卑屈なのかなと思った。
J:なるほど。深い、深い。
B:対立を避ける、っていうのもあるかもしれませんね。都会人が都会人のふりして、「何様やねん!」って言われるのを避ける、みたいな。
F:東京に住んでた時、みんな出身地がバラバラ。東北の人とか四国、九州とか、バラバラの地域から、人が集まってきてる。
バラバラの人が集まってるんだけど、「自分が東京人。」みたいな、ごまかし合いがある、と思った。
A:東京にいるだけで、「金持ち、リッチ!」みたいな感じもあるね(笑)
J:確かに東京、なんでもありますからね、ほんとに。日本初=東京発みたいな。
※法談はいろんな話しが出るので、あくまでも個人の意見であり、感想です。こちらで適宜編集させていただいています。