「人間は偉大なことを為すために」体感研修②

2024年3月30日 名古屋正心館


A 私、バイブレーションを感じるとか神秘的な感覚全然ないんだけど。

B 自分も最初はそうでしたよ。今までずっと頭で考えて、もともとは感性は少しはあったんだけど、感性が閉じちゃった感じだった。聞いても全然分からないし、繋がっていないというのが反対に分かった。

本来の真理というのは感覚の世界のはずだから、そこを繋げないとその奥が見えないはずだというのが分かったんです。

経典はほぼ全部読んでるし、ご法話も含めてね。頭で考えるというのはずっとやってきている。
その奥がいかなかった。密教って感性の世界だから。ここに鍵があるはずだと思って。

C 原曲が分からないと言う人の気持ちがよく分かる?

B うん、分かる。だって最初、分からなかったもの。

D 最初から分かる人いるのって感じ。

B 最初から分かる人なんていないよ、何でも。

C 今回の曲は楽曲で何回も聞いてるんですよ。でも、今回、原曲を聞いて、こういう思いだったんだという新たな発見があって、マインドセットを変えよ、そのままじゃないかと思ったんですよね。

主力エンジンの秘密を分かり易く歌にしてくれているんだってことが、原曲を聞いて初めて分かった。
楽曲では分からなかった。

D なぜか、楽曲では分からないですよね。

C 分からないんですよ。同じ言葉で言っているのに。

B 先生が原曲に一番霊力があるって言われているんで、そういうことですよ。

C 主が歌われているバイブレーションって伸びるじゃないですか、それは潜在意識と繋がる感じなんですよ。

だから、これはここと繋がる、あれはこの教えと繋がっていたというのが分かってきつつある。

B それは間違いないこと。全原曲開示分は受けたので、それで感じたことは、仏性の周りに想念体で煤がついちゃうわけですよ、今までの経験とかも含めてね。

それがあるがゆえに、直接にインスピレーションとか降りにくくなっている。先生の原曲って、詩もそうなんだけど、先生が中学時代の頃とか、エル・カンターレになるまでが全部原曲なんですよ。

先生がエル・カンターレになるまでの道を歌にしてくれているんですよ。気持ちが分かるんですよ。公案とか小説で文字を読むだけだと、なかなかその時の気持ちがわかりにくい。

音楽って、この調べは楽しい調べだとか、悲しい調べだとか、音に乗ると分かるんですよね。

歌にされると、この時の気持ちはこういう気持ちだったんだと、文字で見るとこれ、楽しい気持ちだったのかなと誤解するんだけど、原曲を聞くと、楽しいように書いてあるけど悲しい気持ちなんだ、悲しいように書いてあるけど本当は悲しくなく、笑い飛ばしているとか、そんな、先生の底知れない怖さを感じる。

A 日記だと思って聞けばいい?

D 心の中のものを全部出してくださっている。

B それが聞いているうちにだんだん分かってくる。

C 今日は特にそれを感じて、偉大なるものに為れというところに、すごく繋げようと、一生懸命に呼びかけてくださっているようにしか聞こえなくて。何度も何度も聞いて、繋がったら後は太くしていけばいいんで。

そしたら、だんだん分かってくる。それが感動になって、恍惚感に繋がる。そんな感じ。

B 針の穴でもちょんとやれば、そこからひびが入る。まず繋いでもらうのに結構時間がかかるんですよ。

現代人は特に慣れてないから。頭のほうの知性の文明で来ているから、感性が開かない。

C そうですね、感性が開きにくい。

D 拝聴二回目の「自信・勇気・希望」のところに来たら、いきなり先生の顔が出てきて、「頑張れ!」って言われた気がして、そしたら急に涙が出てきちゃった。

C 繫がったんですね。

B 繫がる時がなんかあるんですね。

D 一瞬のうちだった、その前まで、ふーんって感じで聞いていたのに。いきなり思いが来た感じ。

B 先生が経典じゃなくて、ご法話のほうが何倍も力があるって言われているけど、昔の「仏陀再誕」とか「復活の時は今」とか、すごい絶叫しながらわーっておっしゃっていたけど、高揚があったから記憶に残っているんだよね。

あれと同じ感じで、原曲だと残るんだよね。たんたんと解説するのと違ってね。

A 体感するって感じですね。

C 「マインドセットを変えよ」を天御租神が歌にした感じに聞こえる。

D 最後のほうに「もっと、もっと、もっと」って5回くらい出てくる。

B 御租神様はポジティブにどんどんどんどん、ガンガンガンガン行くようかたちなんで。

C それと同時にすごい愛を感じるんですよ。
我が子を育ててやりたい、我が子を偉大なるものに進化させたい、退化させたくない。

進化させたいんですよ。宇宙はそんなものじゃないよみたいな感じ。

C そもそもそのくらい進化できるように作ってあるんだよってね。

B 魂がね。

D だからそれだけ、もっと、もっとって出てくるんだ。

B このもっと、もっとっていう部分が、多分、受けているうちに感じられるようになると、自分の可能性も広がるし、勇気も、愛も広がっていく。

C どれだけ素晴らしいか分かるか、分かってもらいたいって。

B だって、人間の力の本来の可能性のほんのちょっとしか使えていないという現状。
それを神様の目からみたら、なんじゃこれって。

C もったいないってね。

B そう思うよね。先生もたとえでよくいうよね、ダイヤとか真珠とか、外にばかり求めて自分のなかにあるそれを使わないとか。見ないとか。もったいないことをしてるんだ。

D このへんなんてそうだよね。「人間であることそのこと自体に」みたいな。

C もっと、引き出したい、引き出してあげたいという愛の思いがありますよね。

B 今までの文明を見ても、アスガルト文明とか、テレポートできたとかさ、そういうの含めていろんな可能性があったのに、忘れ去られちゃっているから今は。

C 肉体人間の可能性しか見ていない。それ以外の凄い叡智と、それ以上の幸福感があるのに。それを我が子たちに教えたいんだという親的な愛の気持ちが来た。

D 全体にスケールがドンって大きいのに、この辺だけ「美しい七色の虹が」って。
銀河系だとか大きく広がっていたのに、急にキラキラしてきて。

C これはあらゆる困難のその先まで見えているかという捉え方をしました。
七色のユートピアの桃源郷をそこまで見て困難を超えようとしていますかって、そんな感じに思った。

B この世という三次元の意味というのを捉えて、霊的な存在だということを知っていないとこんなふうに思えないし、力も使えないんだよ。

ここで、全部自己実現すればいいっていうんじゃなくて、ここは霊界とか宇宙とかを発展的に変えて、神様の表現する舞台に変えていくということの前提での三次元だから。

昨日の「使徒」だって、二回同じところを繰り返してる、雪かきのところ。

一回目は「自らのみよりよく生きようとする人間の苦しさ━挫折」って書いてあって、12使徒の結論として、その心境は「自らのみよりよく生きようとする」というのがないんですよ。

自己犠牲の人が12使徒なんですよ。ペテロとかそうなんで。パウロは回心なんですよ。

D もう一段進んだ心境ってこと?

B パウロの回心になると、その挫折もないんですよ。

回心を宗教の教義にしたということは、今までの本当は見せたくないものも全部、人の救済のために見せてる。ペテロにはそういうところはないですよ。隠してる。

例えば、マグダラのマリアに嫉妬していることとか。イエスはマリアに神秘思想を教えたというのに嫉妬したというのも全部隠してる。

ペテロの回心はパウロの回心までいっていない。
回心は全部自分をさらけ出さないといけないから結構きついですよ。

D どうして、そういう回心の違いが出てくるんですか。元々持っている魂の特性?

B 役割上のものもあるだろうけど。もう一つは、イエスを見ている。イエスの側近くに12使徒はいた。

パウロは見てない。だから「遠くにいる人ほど、私の本当の姿を見ている」と主もおっしゃってるじゃないですか。近いと肉親関係みたいな感じで、肉の目で見ちゃう。

D パウロは霊的なイエスを感じたわけでしょう。

B パウロはね。だから、霊的なイエスを見た人と、要は久遠実成の仏を見た人と、人間釈尊を見てそこから繋げようとした人と、そのへん、カルマもあるし、役割もあるだろうけどね。皆、それぞれ違う試しを受けているんだろうね。自分自身にとって。

C 回心は相当深い。

D 回心ってただの反省じゃないんでしょう。

C  ただの反省じゃなくて、くらっと心が変わるっていうことでしょう。

D 反省はきれいにするレベルだけど、回心はくらっといかないといけない。

C 生まれ変わるレベルですよね。あらゆる罪が生まれ変わった時点で許される。

アングリマーラーの話でありましたよね。それくらい凄いですよね、威神力をも引き出す回心の力。

D アングリマーラーは修行しながら、石を投げられたりしながらカルマも返したんだよね。

B この回心のところはキリスト教のところはレベルが違う。回心がないと次元昇華じゃないけど、偉大な力を引き出すまでならない。

ここから上にいくのはキリスト教的価値観のなかにヒントがあるんだけど、日本ってクリスチャンをはじいちゃったから。ここは課題だね。

日本ってクリスチャンを入れてないんだけど、入れてないけど、世界の人種とか見てると、日本人ほど潔く散って死ねる民族っていないんだよね。

いなくて、私の感覚ではね、さっきのクリスチャンとかローマのコロッセムでライオンと戦ったりした、あっさり命を捧げて信仰を取って死ぬような方も、元々日本人的な魂がそういう時代に居合わせて英霊と同じ感じでやったんじゃないかと思うんだよね。だって他にいないから。ユダヤ人とか逃げるし。

一つの魂群が時代を創るじゃない、だから転生して同じ役割をしてるんじゃないかなって思うんだよね。だって、その後のクリスチャンのなかにそういう方々が急に出てこなくなったりする。

※法談はいろんな話が出るので、あくまでも個人の意見であり感想です。こちらで適宜編集させていただいています。

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