原曲「高越山」体感研修③

2025年3月21日 四国生誕館
A: 最初に吉野川と四国三郎から善川三朗顧問を連想して、次に四国三郎の暴れ川の激しさと、天狗で厳しい言葉遣いをされる時の顧問の様子が重なりました。
川が氾濫すると潜水橋が沈んで橋が渡れなくなるように、妖怪性が強くなると『真理の法灯は永遠に』で説かれた世界への架け橋や、『心の指針129』で説かれた宇宙への架橋が機能しなくなる。
だから善川先生も、私達も妖怪性を抑えて本来の使命を果たさなければいけない。暴れ川であり、清流でもある川のように、善川先生にも裏側と神との二面性がある。
清らかな表の神の部分を主は信じておられるので「私も善川先生の神聖な部分を信じます。自らの妖怪性と戦います。お多福と手を切って一緒に本物のエル・カンターレ信仰をつかんでいきましょう。」とお伝えして、感謝の思いを善川先生に手向けさせていただきました。
B: 何か龍に乗って登ってるイメージが出てきたんですけど、上に向かって行く時、まっすぐ飛ぶんじゃなくて、らせん状に回転しながら上に向かって行っていました。
で、須弥山みたいな、すごい高い山の近くを、クルクル回転しながら飛んでて、「宇宙まで行けー!」って思ったら、宇宙に出たんですけど、山の頂上よりももっと上の方に、バラの花っぽいのが咲いていて、ここが何か、『二十二世紀の君』の世界の、バラの花園があった世界なのかなと思いまして、でもそこに行けたかがわかんないですけど、三回目の拝聴の時、その花園に行きたいと思ったら、行けたんですよ。
上に花が咲いていて、そのちょっと下あたりに、きれいなバラの花園がありまして、最初は私一人だった。でも、一人は嫌だと思って、自分の両親や兄弟も一緒にこの世界へ行きたいと思ったら、家族みんなでドラゴンに乗ってて、一緒に行けた。
だから何か、自分が強く思うこと、自分の強い願いとか、意志とか、夢に持つもの、希望してるものっていうのが、ドラゴン・ハートなのかなと。
これを信念として貫く。そうしたらパラレル・ワールドの世界を移動するという力になるのかなって感じました。
家族みんながエル・カンターレを信仰していて、その世界に、エル・カンターレもいらっしゃる。その世界へジャンプするっていうのが、“復活”ってことかなと思いました。
昨日ユダヤ式の神社を見たせいかわからないんですけど、ビジョンの中で、伊勢神宮で何年かおきに式年遷宮やってますよね?あれの儀式をする人達、平安時代の白い格好をした行列があるじゃないですか。
あの人たちが、何か担いで、阿波の地へ帰ってくるっていうようなビジョンが見えて、これは日本中に散らばったユダヤの先祖の魂たちが、お盆の時に帰ってくるってことなのかなって感じました。
で何か、ユダヤの最後の場所でもあるし、始まりの場所でもあったところに、みんな戻ってきて、またゼロから始めようっていう意味かなって、思いました。
あと、ドラゴンに乗ってて思いだしたのが、10年くらい前かな、琵琶湖正心館で、「運勢好転の秘法」の研修を受けたことがありまして、その研修を受けた時は、確かに自分が龍に乗っているビジョンが出てきたんですけど、地面すれすれを飛んでいて上に登っていかないんです。
この上に行くためには、ドラゴン・ハートが必要だったんだなっていう感じでつながりました。
C: 原曲の時は、疲れて寝てた。本当に寝てた。
昨日から一緒に色々グルグル回らしてもらったけど、私らにとっては見慣れた風景やけど、その自然は昔からただ単にそこにあるだけでなくて、その形にするまでに、そこで生活を営んできた人、色々工夫をしてきた人、そういう方がいて、今のきれいな景色になっているよね?
暴れ川やったら、堤をつくり、橋もかけ、橋があるから渡れる。そういうことをやってきた方々がいると。そういう方々に、やっぱり感謝を持たんといかんかなと。
そういうのがやっぱり、忘れ切ってるんだなと思ってね。それを一つ思ったのはありますね。
当然その人たちにも感謝やし、それを、色んな形でバックアップしたり、見守ってこられた神々や、精霊とか、そういう目に見えない存在、そういうところに昔は、感謝をするお祭りがあったり、色んなことがあるんだけど、今は形としては残ってるけど、精神は一切なくなって商売になってる。
そういうところが、すたれていく原因だなと。そういうところをすごく感じたね。
精神が大事だよってところを伝えていくこと、幸福の科学の伝道もあるんだけど、「そういうものを大切にせなあかんよ、感謝せなあかんよ。」というのを広めていくことで、またこっちの世界にも、皆さんをいざなうことが出来るのかなと思ったね。そういったところです。
D: 正直今回はですね、霊天上界の光を供給するのに忙しくて…。ま、眠かったってことですね。
なので、覚醒してる、地上に戻ってる意識がね、その間のことなんですけど、波の音が聞こえて、愛っていう文字が見えて、主への関心度を深めるっていうのを感じました。
主への関心度を高めないといけない、自分がね。信仰してるっていいながら、主への思いよりも優先してる思いがかなりあると。
例えば、色んな欲望ですよね?そういったものよりも、主への関心を優先しているかどうかっていうところが、まだまだ足りないというか、むしろ、落ちちゃってるっていうのを感じました。それは自分の反省点ですね。
また、この「聖地・徳島の美しさを描いてください。」と、映画に対して主がおっしゃったのを思い出したのが、原曲『光る空』の研修の時に、紫央総裁補佐が、「先生は、世界が美しく見えている。」っておっしゃってたんですね、15歳の先生の詩に対して。
それは先生が、世界を美しくみようとしている、もしくは世界の美しい面を見てる、って言うことだと思うんですよ。それをぜひ、周りの人達にも知ってほしいっていう意味が込められているのかなって思いました。
なので、風景の美しさっていうのは、見ようとしてる世界の美しさ。受動的なものでなくて、同じ風景からどこの部分をよりフォーカスするのかっていうことなのかなと感じました。
だから、長所と付き合えるのかなと。
この『ドラゴン・ハート』の原曲を聞いてる時に、そのパッと眠った時に、崖に落ちかける夢を二回みたんですよ、一瞬に。なので、これも一つの警告、「足元に気をつけろ!」っていう警告なのかなと。
そのあと、空を駆ける飛翔感がぱぁーっとしたので、もしかして、地に囚われてると、足元の危うい部分を見過ぎるのかなっていう、二通りの解釈が出来なと思いました。
『高越山』の曲の中で、「とっても特別な力をお授け下さい。」って言ったあとに、龍に乗るじゃないですか?そのあと、危険な旅に出るんですよね?
で「旅の安全をお守りください。」って言ってて、そのあと、「旅の安全をお守り下さい。」って祈ってるけど、行くのは地獄めぐりなんですよ。なので、十分危ないというか。
でも(『ドラゴン・ハート』では)「地獄巡りで、終わりにしないと誓った。」と。そうすると、「さらなる上を目指して」という言葉のあとに、「ゆけ、ドラゴン!」なので、やっぱりドラゴン・ハートっていうのは、“誓い”とか、“”目指す“とか、そういう先に進むっていう理念、なのかなって感じました。
「地獄巡りで、終わりにしない」って、ほんとはそこで終わって、ほっとすればいいのに、「まだ行くんかい!」みたいな。下手するともっと危険じゃないですか?でも行っちゃうんだってところが、ポイントなのかなって、感じました。
また、地獄巡りの次が、ジャンバラになってるのが、私的には、地獄巡りっていうのが、欲界転生の総括。
六次元までは欲界転生って言われてますので、地獄巡りがこの欲界転生のまとめ、自分のカルマも含めての反省で、シャンバラが地球のコントロールセンターにあたるので、そこで初めて主の御手足として、主の理念を地に降ろすお手伝いが出来るんかなと。
なのでやっぱり、主のお手伝いをさせていただくには、「地獄巡り」っていうところは、本当は外せないんだろうなって感じました。そこで自分が同通する地獄っていうのが、どういうものかっていうのを知って、それを乗り越えるっていうのを経験しないと、先に進めないだろうなって感じました。
あとは(『高越山』の)「天日鷲命よ、」っていう歌詞のところで、明らかに空気が変わるので、そこはほんとに指導が入るポイントになってる、いわゆる招霊の部分が入ってるのかなと、感じます。
他に、2,3回肩を触られたので、それが「高越山からエベレスト。エベレストから須弥山。須弥山から眉山へ。」ってところで、左肩を触られたので、この部分がポイントなのかなっていうふうに感じたんですけど、誰なのか分からないし、意図もわからない、まだ。
その肩を触られたと書いている途中に、蝶と鳥を掛け合わせたような生き物が、パンって頭の中に入ってきて、蝶々なんだけど、蝶々の羽の下の部分がすごい長くて、あと尾羽みたいなのがあるんですよ。蝶々のくせに。
それが鳥みたいにでかくて、何なのかわかんないんですけど、そういう想像上のものなのかなっていうのを感じました。それが何なのかわかんない。
映画『君のまなざし』で、黒いアゲハ蝶が、異界の象徴で出てきましたよね?なので、鳥も異界の象徴なので、異界の象徴として出てきたのかなと感じます。
二回目聞いた時に、パッと眠りに落ちた時に見た夢が、廃工場、潰れた工場を見て回ってる私がいて、その周りを、私に親しく付きまとっている猫が、走り回ってる、興味深そうに。っていう夢を見たんです。
その廃工場ていうのが、私はだいたい夢の中で、ボロ屋が出てくるんですね。廃屋が出てくるんです私の夢って。
多分それって、過去の象徴だと思うんですけど、猫っていうのはだいたい、私を守護してる動物が猫として出てくるんですけど、なので、私の過去に対して守ってるものの象徴を見させられているのかなって感じました。
あとは、善川顧問が亡くなられたのが8月12日、阿波踊りの初日で、この『高越山』も阿波踊りのフレーズがすごい出てるじゃないですか?歌の中で歌を歌うって、不思議な曲になってるので、またおそらく阿波踊りは霊界交流じゃないかと。
盆踊りだしね。霊界交流で、天日鷲命は、四国に生まれる霊の、生まれ変わりを管理してるって言ってましたよね?だから、四国霊界の管理者なんですよね。
そのあと善無畏三蔵で、「密教の正当な流れは四国にある」っておっしゃってるんですよ。なので、空海が持ってくる前に、四国に密教を非公式な形で持ってきてるんですよ。
で、密教というのは霊界交流の教えなので、指導を降ろす秘儀なんですよね。なので、阿波踊りっていうのは、霊界交流のある種の秘儀を入れてるのかなと感じます。
それをおそらく、天日鷲命がそれをあえてさせたのかな、と。そうじゃないとあそこで歌に入れる意味がわからない。つながらない。
なんで善川顧問はあえてその日にお亡くなりになったんだろうなと感じます。阿波踊りと自分の命日、命日っていうのは、その人の霊的エネルギーが、一番この世に影響しやすくなる日なんですよ。霊界理論としてね。
なので、だいたい供養の日に命日を選ぶというのは、その人とつながりやすくなるからなんです。
その阿波踊りの日に亡くなってるっていうのはドンピシャで、その時に指導を降ろしやすくするからだなんだなと。天日鷲命なので、四国全体に影響を与えやすくする日なのかなって感じました。
なので、天日鷲命と善川顧問を結びつける動きをしていくことっていうのは、当会にとってこれから実は非常に重要じゃないかということを、この研修でわかりました。
E: 精舎の2泊目以降って、ちょっと“緩む”んです。
昨日から考えていたことを、まるでCさんはそれを知っているのか、みたいなことを、今朝の朝食の場で言われたりと、もうユルユルな状態で、四禅定も、そんなんで、上手く入れず、関係ないビジョンが見えたりしてたような。
で、原曲研修も始まる前から、なんか泣ける。わけわからず泣く。他の方も、あちこちからすすり泣く声が聞こえてましたね。原曲拝聴して、やはり思考は働かず。
断片的な、言葉やビジョンが見えました。また曲の中の、あちこちで、胸だったり、おなかだったり、背骨にビリビリ貫かれる感じがあったりと、体感中心。
一回目の拝聴時に、「忌部」って言葉が降りて来て、わけわからず泣く(笑)
他の方のように、「私も海を渡って、東のこの国に来た」って思いだしたわけでもないのですが。今まで忌部って言葉に何にも感じなかったのに急にきました、なぜか。
でも阿波踊りを踊ってから、ちょっと落ち着いて、最後の誓願の時間にまとまりました。目の前正面にまっすぐ、ビジョンが見えました。
これが自分の行くべき方向だし、そして多くの人が今目指すべき方向なんだと。でも、違うところにも惹かれるものもあるんです。
もし私にとって、そちらに強く惹かれるのなら、私はきっとそちらに行っちゃう。それを考えると「きっついわ~」って、違う涙も出ました(笑)
C: それぞれに課題あるからね。時と場所が違うってこともあるからね。いつなんか、大事な時にふっと思い出せるようにしとったらいいし。
E: それが本当に正しいかの見極めもいるなとは思ってます。
C: そうそう。でもそこで間違ってもね、掴むものはあるんだから、そこであんまり悩まんことやね。どっちの道を行っても、きついんやで、結局は。
A: 狭き門から入る。
E: ほんとにね~。行くべき時は行く。ただ一人でも。
C: やっぱり最終的には一人や。
E: でも、先生とはずっと一緒なんです、正しければ。そこさえ忘れなければ大丈夫。そこはお任せしながら、とりあえずは目の前の、まっすぐな道へ行くと。
C: 一人でも、常に主と共にあり、ね。
E: そうそう、そこさえ見失わなければね。でも、きついのは嫌なのに。
C: それだけ学びが多いってことだから。
B: そういえば、うちの家族はみんな、宗教を信じてないんですよ。お母さんが一番信じてない。
元々看護師さんをしてたので、結構リアリストで、「死んだら消えてなくなって終わり。天国も地獄もない。オバケもUFOもない」っていう人なんですけど、そのお母さんが、主に向かって祈ってるイメージが、ポンって出て来て、お母さんが三帰して、主を信じる未来があるんだっていう、確信が持てた。
その未来に行けるように、祈りたいです。祈ります。それがうれしかったです。
E: 具体的なビジョンが見えると、そこに近づいている感じがしますよね。
B: 見えたからといって、何もしなかったら、その未来は逃げていくだろうなと思って。頑張ります。
A: 高越山(おこおっつぁん)って、語感が父親を表す「おとっつぁん」に近いなと。
この世的には主は息子の立場で、父親である善川先生を慕ってる。霊的には魂の親の立場で、子供である天日鷲命の成長を願っている。息子でもあるし、魂の父親でもあるという立場が面白いなと思いました。
※法談はいろんな話しが出るので、あくまでも個人の意見であり、感想です。こちらで適宜編集させていただいています。