楽曲セミナー「無心」

1月28日の楽曲セミナー「無心」
法談レジュメをお届けします。

グループ①

A 視点が「僕はまだまだ~」っていうところなんですが、僕ってどの視点でいってるのかなと思って考えた。

お母さんと子どもの状況を見てるだけなら、「僕は何にも知らないで」っていうのはないのかなと思った。

お母さんを見ている視点、つまりその子の中に先生が入られてお母さんをみているとかかなと思った。

「マフラーを忘れちゃいけません」というのも暖かくしないと冷えちゃうので総裁先生の心が寒いので「マフラーを忘れちゃいけません」というのはお母さんの声だけれど天からの声なのではないのかな。

だから、暖かくするものをつけて、それを取っちゃダメだよと。

「無心」っていうのは、お母さんを信じきって天も信じきって何しても何見ても楽しいという状態のがこの「無心」というのだなと。

子どもは持ち越し苦労も取り越し苦労もしない、変に悩まないで自然に身を任せていて、当時先生が悩んでいたこともそれを見て自分も透明な気持ちでいるんだ、そういう風に自分を慰めていたのかなと思いました。

B 自分一人で「無心」を聞いている時は「あ~癒される歌」かなと呑気に聞いていたんです。

だけど、楽曲セミナーのこの磁場で聴くと、階段、扉があって、そこから飛びおりて、神さまからの視点からすると、「危ない」と思っているのに、「楽しい」とやっているのは主からみて、主と人類の歌なのかなと思って、日々楽しく過ごして、くるくる傘を回しているのが輪廻転生なのかなと。

ずっとやさしく囁かれているのに何もきかないで過ごしている私達なのかなぁと思ったら「あ~」っと思ってしまいました。

受けとれるものが少ない私達。夢みるように語っているという歌詞。お母さんの愛を語っているのに伝わらない悲しさ。いつになったら私は大人になれるのか。そんな感じに思いました。

C 私は原曲セミナーや楽曲セミナーは自分の心を開かせる力がすごくあるんだなと今日思いました。

今までずっと原曲もきかさせてもらって、楽曲セミナーも始まって「神詩会」を始めた手前、全部参加してきたんだけれど、原曲や楽曲を聞いているうちに、自分の心が開いていく感じ。

先生の原曲や楽曲は心を開く力がすごくあるんだなと思いました。

D  研修の中で「足ることを知る反省」をしたら、私は本当に足りていた。めっちゃくちゃ足りていてどんだけ恵まれているかと思ったんだけれど、今、親子関係のところで取り越し苦労、持ち越し苦労のところがあって、何かした時に将来のことを不安に思ったりして、でも、どんだけ恵まれているか今日の研修にでて気がついた。

今日は、電車が遅れたけれど、出れて良かったです。

グループ②

A 最後に反省をさせていただいて、欲とかも見なきゃいけないと思ったんですけど、「ただ、大丈夫、大丈夫だよ」って声が聞こえてきて、「自分のことを責めたりしないでね」とか、ずっと慰めてくださってる感じがしました。

その声が聞こえたなと思ったら、「欲っていうのあるけれど、君の場合は恐怖心だよ、だから大丈夫だから、恐怖心を手放して、欲もそれとともに手放していくから大丈夫だよ」っていうお声が聞こえた気がします。

B この曲は短いですけども、私はとても好きで、すごい透明感をいつも感じるんですね。

あと、曲と離れるんですけども、私、「当会のこの楽曲のアルバムカバーってすごいいいな」と思ってまして。

この曲も傘をさした子供とか、そっちの方も評価されるんじゃないかな、してもいいんじゃないかなと思いました。

C 地上の総裁先生と宇宙の創造主を感じました。

全てを知っている創造主があえて何も知らない人間になってくださった。

くるくる回す動作から宇宙の回転運動を連想して、創造主が星や宇宙を回すことによって、季節が巡り、雪や花が降る。

母の声はこの世の現実や常識の象徴。その声は耳に届いているけれど、三次元に染まりきることはない。

神の悩みは尽きないけれど、時には人間と同じ目線に立ってみたい。

初めと終わりのフレーズが同じであることで、神の円環の時間を表現している。時間も回してる。

ミクロの子供のしぐさとマクロの宇宙の運動がくるくるという動作で繋がってるように感じました。

D 私は無心は原曲を日光で2回ぐらい受けました。

今日また新たな視点で気づいたんですけど、「降っているのは〜」からは子供が無邪気に感じてるところが、これはどの人も生まれてから感じてきている心で、そのインナーチャイルドのところを表していて、「母親が夢見るように語るのは」っていうところは、母親が愛おしいと思ってる中に、もう仮面の始まりがここに入ってるなっていうのが、子供だから四季が分からないのに、「まだ春は遠いのよ」とかそれと同時に心配、「風邪をひかないようにしなきゃいけませんよ」って言ったところに親の価値観が自然に入っていて「これで愛されたい」と仮面ができちゃって苦しくなっていくんだなって。

その仮面ができる前とその瞬間がここに描かれているなと思って。

で、「悩みも軽くしたいものだ」っていう主の言葉の中に、この前後、ビフォーとアフターの両方を見ている主がいて「軽くできるのにな」って。

宗教家を目指している主がもう見抜いてる鋭い部分を描いてるなって今回感じさせていただきました。

E 無心の原曲研修は日光精舎限定で、私も2回受けたんですが、最初に原曲研修を受けた時は幼心っていうのを思い出したりしたんですが、今日楽曲研修としてじっくり受けさせていただいて思ったのは「この言葉の主語は誰なのかな」っていうのが、くるくる変わっていくんですよね。

で、どんな風にも受け止められて、これは先生が主語になるのか、それとも、その小さな子供が主語になるのかっていうのはどちらとも読めるような歌詞になっていて。

で、それぞれ当てはめてみると、また違った情景が浮かんでくる。

あと、「春はまだまだ遠いのよマフラー忘れちゃいけません」のこの言葉遣いが、私、美佐さんを連想させるものがあって、幼子と母っていう一対があり、また、総裁先生と美佐さんっていう一対があり、っていう風に何重にも万華鏡のように。

あと、時間も前後して、透明なゲルの中に、いろんな場合が想像できるような、そういう神秘的な思いを抱きました。

で、この「悩みも軽くしたいもの」っていうのが、この無心っていう曲の主題だろうなっていうのは、これは皆さんと一緒で思いました。

F 皆さん気づきが素晴らしくて、私は楽曲セミナーに初めて参加しました。

この先生が見られた一瞬の、その風景を切り取って、そこにその美しさとか、愛とかが散りばめられてる、この楽曲に浸って、自分の幼少時を思い出して。

で、やっぱり同じようなシーンが皆さんあると思うんですけど「あ、本当に、エルカンターレって私が本に巡り合って、信仰に出会って、信じる前よりもずっと前から愛されてたんだな」っていう主の愛っていうのがじわっと入ってきて、もう泣けました。

本当にありがたいなって。たったそれだけで。はい、ありがとうございました。

D 今、思い出したのが、無心ってメシアの法の後書きに「無心に求めなさい」ってあるじゃないですか。
それについて、私たちにとって無心って何かずっと気になってるんですけど。

F この世的な条件付けとか、大人になったり学び続けてると賢くなるし、知識もつけるから、知識で考えることとかあるけど、無心って何もない純粋な心で、ただただ主を求めるっていうことなのかな?なんて思って、もう賢しくなっているというか、お利口になりすぎているのを全部取っ払って、何があろうとも愛してますみたいな。わかんないですけど。

A 良寛和尚のことが、今回お話であったじゃないですか、「仏になるということは、ほどけていくこと」って「すごく、ああ確かに」と思って、学べば学ぶほどみんな硬くなっていくじゃないですか。

で、硬くなるってことはどうなっていくかっていったら、感化力はやっぱ落ちていくと思うし、共感力とか寄り添う気持ちっていうのもちょっとずつやっぱり硬くなって、みんなバリアが張られていく感じがすごくして、どうやって心を解いていくかっていうのをすごく思っていて、多分、研修とかでマッサージされて、ちょっとずつ解けていく感じがするので、ここを中心にまた学んでいきたいなって今日は思いました。

D 無心っていう状態って、透明な心に近いのかなっていうか。主が「この世は美しく見えましたか」って私たちに問われてるじゃないですか。

それって多分、無心のこの状態、小さい子供は「この世が美しい」と絶対思っていると思って。だから透明な心と無心な状態って、多分似通ってるんじゃないかなってちょっと感じたんですけど。

E それもそうですし、「見返りを求めて信仰するっていうのはやめてね」っていう主の思い。当会の教えって素晴らしいから、この世的にもすごい役に立つじゃないですか。

仕事だって成功するし、子育てやって成功するし、成績は上がるしって。そういうところだけを求める気持ちで、私を求めないでくださいねっていうのが、その無心っていう言葉に現れてんじゃないかなと思うんです。

D あと名誉ですよね。最後に残るとこですね、

A 歌詞で無邪気さが中心に出てるじゃないですか。

無心って修行者からしたら心身滅却みたいなイメージだと思うんですけど、本当に無邪気に人のお役に立ちたいとか、そういう利害がなく捧げられるかっていうのが、やっぱ天使の心だし、無心だし、その無邪気さっていうのに繋がっていくのかなとか思いました。

C 幼い子は無邪気だけど、三次元的な知恵や愛がないから心ない言動で人を傷つけたり、相手に迷惑をかけることもある。だから無邪気さは大切ですが、愛も必要だと感じました。

グループ③

A 花でも雪でも、これ、楽しいんだよね。

だけど、それはね、それだけしか見えてなくて、お母さんから見たら、危険なこともあるだろうし、その視点をね、なんていうのかな、1枚を切り取るにしても、全部をね、ぱっと見て、だんだん、いろんなものが見えてくるっていうのを、先生みたいに、一瞬で全部見えるわけじゃなけども、そういう見方は必要っていうか、訓練っていうか、修行で身につけていかなきゃいけないのかなと思いました。

で、ほんとに悲しいってのは、前に一瞬感じたことあるんですけど、ほんと、悲しいんだよね、いろんなことはね、当然、楽しいばっかじゃなくて、自分のことを見ても、人のことを見てもね、悲しいっていうのはありますよね。

そういう時代だからこそ、感じるのかもしれないですけど、そんな感じです

C 自分の幼い時のことを考えて、本当に無心にね、そういう思いで過ごしてた状況も出てきたんですけれども、そういう状況も出てきたんですけれども、エル・カンターレとしての、魂の子たちがどう生きてるかってね、その悲しみっていうところでね、テレビを見てて、事件を起こした若者を見てね、悲しんで、こういう子に育てたつもりじゃないのにね、本当に申し訳ないとおじさんが謝ってる姿を見てね、本当にね、悲しいことなんだって。

親としては、そういうふうに育てなかった、思い描いてのと逆の方にね、行ってしまって、とんでもないことをやってしまった罪深い人たちを見た。その悲しみよね。

ほんとにもう、親もそうですけど、子供たちもね。真理に会えなかったことの悲しみっていうのかしらね、そういうところを感じました。

D この曲好きだったんですけど、最初に気づいたのは、「あれは雪、これは花」っていう、気にせずにこうやってて、でも私なんかすごい分析的に見ちゃう、まず最初に。

だから「あ〜っ」て思って、どうしてもね、雪か花とかいうところを分析してしまう癖があるんですよ。
だからそれを、それをやめて無心にならなきゃなって、それが今日1番最初に気がついたんですよ。

で、繰り返し聞いてて、別の視点で見ると、仏の目からみたりとかね。私、落慶した当時、雲水をやってたけど、その時、イニシエーションとかいっぱい受けて、だから、ほんと、無邪気に、雪か花かわからずに、もう色々受けて、無茶に飛んだり跳ねたりしてたんで、それを見ていた仏の目とかね、天上界ね、どうだったんだろうなって。

あの時、本当に自分としては無邪気なつもりだけれども、でも、その時に、色々体験させていただいて、その、私にとってここは霊的覚醒のゆりかごだったんだなっていう感じで。

すごい感謝が、ここで育ててもらったみたいなもので、ちょうど本当、20年前、育ててもらって、そういう感謝です。

あとは、最初はただ詩として読んで、悩みを軽くしたいっていう、だからこれは、こういうの読んで、自分で悩みをね軽くしたいんだなと思ったんですけど、それだけだったんですか、それが随分今回で広がって、全ての経験がありがたいなっていうか、仏の目を見つつも、自分の視点が3つ、4つ、見えてきたんで、今日、ほんとにありがたかったです。

B 無心、やっぱり難しいですよね。

あれだけ解説があるから、曲を聞く度に深まっていくっていうところはあったんですけどね、先生、やっぱり霊能者だったから、ぱっと見て、案外、その先とかも見れちゃったりとかもあるのかなって、「あれは雪、これは花」で、将来的に雪みたいに冷たい人生の厳しい部分もあるだろうし、花みたいに美しい部分もあるだろうしっていうのを、先生なんとなく見てらして、でもその子供にとったらそんなのわかんない。

今、その場で喜んでる。それも本当に欲がないじゃないですかと。

階段だけですからね。それだけで満足して、もう先のことなんか考えてない。

自分の人生のこの先、雪みたいな厳しいのが来るとか何も考えてない、今この時点の、ここに満足してる。

そこにお母さんが「夢見るように語る」わけじゃないですか。春はまだ遠いとか、マフラーとか、この世の話が入ってくる。
でも、子供は、おそらく霊界で遊んでる感じ。

子供は霊界にいるから、3次元な、春はまだ遠いよとか、寒いのよとかいうのが逆に夢のように聞こえる。違う次元だから。
そういうこと言ってるのかなって思ったんです。

で、先生にとっても、これから先が花なのか雪なのかっていうのもわからない、そういう中にいて、でも、「あれは」って、遠い方が雪なんですね、「これは」は近い方が花なんですよね、表現として。

なので、雪みたいな厳しいものがあったとしても、そういう体験とかを教訓に変えて時間がたってきたら花みたいに変わってくるのかなって。

どちらも実は本質は美しいものなんだって風なこともちょっと示唆されてるのかなって。

A 原曲を受けたんです、これ。その時も正直どういう感じだったか、やっぱりよくわかんない。

でも、くるくる傘を回してるっていうのは、やっぱりちょっとなんかあるのかなって。

子供ってよく傘をこうやって回しますよね。それを何かに例えられたのかなっていうのを、日光で話した記憶があるけど、内容はちょっと覚えてない。

B 雪、花、降ってくるものを、傘でブロックしてるから、この子供にとっては、雪も花と、もしかしたら、あまり関係ないのかなって感じですよね。ただ、自分の世界の中で、

A 石段をね、一段抜きで飛んだりとか、それだけでも行ったり来たりで、楽しい。

C 私、この詩篇がなかなか難しくって。なんかこの詩が心に入ってきたとか、よくきくんですよ。その感情がなかなかわからなくて。

格俳句だとかね、こう、直接的に言ってることもあるんですけど、そこの思いのところ、なにをおっしゃってるのかなっていうのがよく分からない。

ご法話とかそういうのはすごくわかりやすい。入ってくるんですけど、詩となるとすごく難しい。

B 難しいですよね。美の法門は出たばっかりで、こういうのに参加したりとか、原曲研修に参加してると、少しずつわかるようになりますよ。

A 読み取れるようになったりとか、感じ方が変わってきたりとかね。



※法談はいろんな話が出るので、あくまでも個人の意見であり感想です。こちらで適宜編集させていただいています。

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