原曲「預言者」体感研修②

2024年2月29日 渋谷精舎
【個別の感想】
○最初に壮大だと思った。当時の葛藤が示されてました。
後半で、私にはあなたの御国をこの地上に立てるだけの力はありませんって、それってもう予言者の範囲を超えているよなって感じた。すでに根本仏として自分が決めた使命に気づいていた葛藤というのを感じました。
○原曲になると全然違いますね。涙が流れて仕方なかったんですけど、やはり、我々に対しても厳しい道を行くように促されているように私は感じました。
○長い詩じゃないですか。ここに先生の大悟から、使命を告げられ、その使命と人間として生きるという葛藤が、私たちの想像を超えていたと実感させていただいた。
大変な葛藤があったというのは頭では分かっていたけど、でも元々そういう使命を持って生まれてきたし、高級霊からの指導もあるから、ある程度予定されていたなかを、葛藤はあっても、導かれながら歩まれて法を説かれていたと、自分のなかで甘い見方をしていて、先生が法を説き続けてくださることも当たり前で、先生の葛藤を予言者を拝聴させていただいて強く実感し、それを分からず甘えて生きてきた自分だったと涙がでてきて。
先生がこの葛藤を乗り越えて真理を説き人類救済のため大きな愛を与えてくださったことに感謝の思いでいっぱいです。
○「神のあなたの幼子は並み居る悪魔の棟梁たちに 打ち克つまでに 大人になっていないのです」の前のところあ~、あ~、って、これが三歳くらいの子供の泣き声みたいに聞こえて、癇癪をおこして泣いている子どもみたいな、そんなの無理だよって言ってる感じ、時々入るあ~、あ~、がだんだん使命を掴んでいってるように聞こえました。
先生が説法しているのは、何でもないように見えるけど、その説法できるようになるまでの心の葛藤が出ている。
私たちは当たり前のように説法を聴けて、ありがたみを感じれなかった。先生は初めから凄い人って感じでいたけど、違うんだなと思いました。
○はじめの神の乳房にむしゃぶりついてという、この部分って、本当に白くて金色の光りの中に包まれているような幸せのイメージなんです。
そこから現実世界に来た時に、明け方の暗闇みたいな中に星が光っているイメージ、その中で、どういうふうな形で自分がその使命を成就したいのか、このような使命の成就の仕方でいいのかという迷いを感じながら星を見上げているイメージですね。
最後のほうで、使命に向き合って、救世主としての自覚に続いていくと思うんですけど。
全体を聞かせていただいて、言葉として出てきたのが「平凡からの出発」ですね。主が一直線で救世主として立たれたわけじゃなくて、あくまで平凡という自覚があって、そこから努力して克己して、人を救う、世界を救うということを思われた。
そこまでに至る過程の苦しみというのが感じられますよね。それを体感できるというのは凄いことだと思いました。
○「神の乳房にむしゃぶりついて」という最初のところから、いろいろ葛藤があって、でも最後に「正しき道を私に示したまえ」というあたりで腹が決まった、そういうイメージがあって、最後にあなたの胸に顔を埋めたいってあるので、この世で真理の道を説くけど、でも、神との繋がりを一番に大切にし、自分の支えにして、この危険と誘惑でいっぱいのこの世で法を説くという決意を固めていく道筋がこの長い詩のなかに込められている。
私たちに近い心の動き・迷い・誘惑と、若い時代にはもっと甘美な時間が欲しいとか、生生しさにすごくグッときました。
救世主であっても肉体を持ってこの地上で0から生きていくその姿を、後世の人達も、こういう思いで人間を愛し続けることを決意してくれた主の偉大さ、愛の深さ、そうしたものを感じるだろうな、そのためにこういう詩を降ろしてくださったのかなと思いました。
○降魔成道のときも、45歳で重役にという人生もあったけど、この若さというのが自分のなかでキーワードとしてあるかなと。
釈尊の時代にも、30歳くらいで大悟されているので、若さがあるゆえにできることもあるんだなと、ここのところの時間を捧げられたんだなと凄くぐっとくるというか、自分自身も怠惰な時間を過ごしてきた時期もあるので、時間を尊いもののために捧げるというのがどれだけ大事なのかというのを感じさせていただきました。
霊言を降ろされて、それを受け止められる器であるという自覚はされていて、この世的なしがらみも、人間としての生きる苦しさも知っている、それを受け止めたうえで、これからもう人間ではない存在になられるというところで、人間としての記憶を結晶として原曲で降ろしてくださって、我々、永遠の修行者にとっての宝をいただいているんだなと、これをしっかり受け止めていきたいと思いました。
○私が感じたのは二点ありまして、ひとつは正心法語を総裁先生と同じ息遣いトーンで毎日読んでいるんですけど、原曲を拝聴させていただくと、先生の息継ぎ、トーンを感じることで、先生と同じ周波数を、自分も心から発する、もしくは先生が発する周波数を感じられる自分になっていく、これが原曲なのではないかと。
聞いていると、身体が軽くなって、ネガティブな思いが無くなっていく、そうやって心が浄化していくんだなってすごく感じました。
二点目が、先生がこの時点の葛藤から、空手にして立つんだという思いを持って、法を説いてくださって、幸福の科学を創ってくださって、それがあるからこそ、今の私たちがあって、勇気を持って、例えば伝道ができたり、いろんな活動ができている。主の思いを汲んで行動していこうと、今日参加したことで決意できました。
○最初に原曲を聞いたときに結構衝撃を受けて、苦手意識を持ってしまったんです、で、あまり受けてなかったんですけど、信者さんのXを見てて、今って原曲が大事なのかなって思って参加しました。
一回目聞いたときはぼんやり聞いている感じだったんですけど。
二回目を聞いている時に、先生の若い時の苦しみがすごく伝わってきて、自分は21歳の時、何を考えてたかな、自分の事しか考えてない、生活のことしか考えてなかったし、誘惑もいっぱいある若者が、こんな苦しみを持つって凡人には分からない世界だなって思いまいした。
悩みの時、苦しい時、精舎にいくことが出来ますが。先生が立ちあがられてなかったら、そういう場もないわけで、先生にたいする感謝というのができました。
○先生の気持ちがダイレクトに入ってくる曲だなと思った。
私は最初から先生は悟りたる存在だと思っていたんですけど、実際には24歳の時からお隠れになるまで、いろんな葛藤を抱えながら、法を説いてくださって、それに対して、すごい甘えていた自分がいた。
この予言者の原曲を聞かせていただいて、あの映画(ただ一人往く)を見たら感じ方が違ったかなとちょっと残念に思いました。これを聞いていたら、映画の場面の先生の葛藤がもっと入ってきたと思う。
音楽って、凄い。先生のバイブレーションってすごい。楽曲の予言者を聞いても泣けるけど、原曲のバイブレーションは全然違った。
【自由法談】
○今回先生は地球神、創造主ですよね。創造主にもかかわらず平民の家に生まれて、だから平凡からの出発なんですよ。
で、この今の日本の民主主義の世界で王族とかあるわけないんで、ほぼ自分たちと同じところからスタートして地球神というのを自覚されて、世に立たれて、その苦しみたるや。
人間としての苦しみを先生は自分で体験されてというのが先生の先生たるゆえんなんですけど。それを伝えていただけることによって共有できるところがすごい。
原曲のトーン、自分の母親の子守唄って覚えていますか。自分は覚えているんですよ。独特のトーンだった思うんですけど、それに抵抗とかないじゃないですか。ただ懐かしさと、産んでくれたことへの喜びしかない。
それと同じようなことだと思うんですよね。魂の親がその喉で、口で歌ってくれている、魂の子である我々はそういう関係性の中で伝えてくださっているものだと思います。
この世で生きている時間が我々長いじゃないですか、今世だけじゃなくて、その間にいろいろなこの世的な常識が積み重なって、それが仮面になっているわけで、その仮面を飛び越して入ってくるものがこの原曲だから、そこから見た自分の姿が逆照射して見える。そいうところは素晴らしいと思います。
○先生、本当に飾らないっていうか、赤裸々じゃないですか、一切仮面をつけてないっていうか、それが凄いなって思う。
○詩を書くにしても、どこか飾って書くじゃないですか、仮面をつけたいところがあるじゃないですか。
それをそのまま正直に見せるところがエル・カンターレだなって。
救世主でありながら、葛藤をこういう形で残してくださってありがたい。今回、本仏下生が3回目じゃないですか。
でも、アルファ様、エローヒム様も、もともと神様としていらしたとしか思えない、圧倒的に人間と違う絶対的な存在。
だから神様として帰依もしやすいけど、今回は私たちと同じ肉体に宿って0から出発して、精進されてここまで道を開かれて、その葛藤もありながら、自分が精進してきた姿もこういう形で全部残してくださる。
もちろん、先生の偉大さを知る意味でもありがたいけど、よく宇宙のメシアの方々がこの地球はこれからメシア星にシフトしていかなければいけないと言われているけど、そういう意味で、私たち自身もメシアにはなれなくても、先生の後ろ姿を通して、まずは天使になるところが目標ですけど、でもメシア星になるためになんだなと思いました。
○この予言者を書かれて、改編されて、主なる神を讃える歌が付け加えられたということで、それが一つの和歌だとすると、この主なる神を讃える歌は返歌ということで、そういう意味で受け答えをされている。
パングルから返されて、主がどういう御存在なのかというのを改めて今の時期に語られたというところが凄く文学的だなって思った、
主が霊肉の戦いって言われていますけど、かつてはファントム型人類、肉体を持たずにそのまま物質化できるというのが、過去の二回の転生で、それが現代は肉体から天使になるという物質化の逆バージョンをされている、そのうえでもう一段の悟り、霊的目覚めとか体得できるプログラムを組まれているんだなと、それをしないと、他の惑星に行って指導とかできない。
そういう部分も含めて、もっと私たちが主の名代としてできるようにも意識しないとだめだと思った。
永遠の仏陀のなかでも、地涌の菩薩を見たいとおっしゃっていて、要は地上に生まれている人たちが天使になるのが主の願いの一つでもあるので、我々がどれだけの期待を背負っているのかというのを自覚させてもらいました。
○今回は美と醜を分けるという流れのなかでの原曲研修だということを知っている方は多いと思うんですよ。
赤裸々って誰かおっしゃっていましたが、赤裸々な心が美しい。それを自分と比較して、自分はこっち側に行かなければいけないということが美に近づくことでもあるし、美を体現するということでもある。
醜を捨て去る、美を掴むというのが、今とても大事なところだと思います。
○赤裸々が美しい、そういう生き方がさわやかというか。
○信仰は赤裸々なんですよ。
○ドキッとくる言葉。まだだめだ。
○情熱もありますよね。信仰に対する情熱って美の一つですよね。
○経典を読ませてもらって、主は人間の苦しみを本当に分かってくださっている、人間の苦しみが分からなければ慈悲も分からない。
その教えたるやすごいなと思って、いろんなこと説かれていて、1冊も逃してはいけないという感じがするんです。
言葉では言い表せない、愛の広さ、深さ、人間のために、人間としての苦しみも体験されて、ありがたいとかそういう言葉では言い表せない。
まずは学ぶこと、実践しながら、失敗しながらやっていって。
美の世界に到達することは、のたうちまわることも必要だと思います。そういうのを通り越さないで美しさは掴めない。
それぞれに自分を導くための経典がある。
○家族が宗教嫌いで信じてない、周りも見ていると、神社とかお寺にいくのは当たり前だけど、一つの神様を信じて教学するってなると、みんな、ないじゃないですか。
キリスト教の人達にも会ったりはするんですけど、キリスト教の人達は愛は深いなって思うんですよ。
でも神様にたいする考え方がこの予言者みたいにシビアではないと思いました。この予言者を読むと、今まで幸福の科学の信者をやってきてたけど、甘かったなと思うので、何も言えない。
信仰をしていない人、信仰を持ってる人も、これを読んで欲しいと思いますね。信仰はこういうものですよと。自分自身もエル・カンターレを信じていますというのを赤裸々にしないといけないと思いました。
信仰告白が大事なのかなと思いました。
○さっきキリスト教の話をされてて、キリスト教は区分でいくと猫型宗教、他力に近いところがあって、自力とは違うけど、信仰のあり方としてはありますが、さっき言われたように甘いというか、自分自身が向上していく、神に近づいていく、その教えの部分がちょっと足りないところがあった。
幸福の科学の何が凄いかって、隼型宗教、先生が宗教の分類をされていますが、あれはまさに言い得て妙というか、自分自身もその教えを学ぶことで、自立して自由自在になっていく、ある種、仏教における究極の解脱、智慧と慈悲の部分を兼ね備えていて、サル型宗教と猫型宗教を統合して、その更に上に行く。そういうところが主の凄さ。
自分自身も成長していって、他の方々も救っていく、そういうところまで宗教のスタンダードとして持っていかないと、これから人類を救っていくうえでも他力中心、自力中心だけでは、もうだめだって改めて実感として持ちました。
○今、隣人愛って言われていますが、当会の中でも、自分の中でもちょっと薄かった。
キリスト教からは、それを学ばせてもらいましたが、そういう重要な部分、エッセンスを主が最小限にこれだけはやってくださいって集約してくださっているから、エル・カンターレ信仰と四正道とか、主なる神を信じることと隣人愛を実践する、ここまでやることをシンプルにしていただいたので、信仰告白をしたうえで、自分自身がエル・カンターレの使徒、信者である、そこを打ち出していく必要があるなと思いました。
○今、天御祖神のところが出ている意味を考えると、天御租神の凄いところ、日本に降臨されて人類創造をなされたというところを、もっと日本人自身も知らないといけない。我々ももっともっと腑に落として、それを伝えていく、その上で宇宙時代の認識が広がっていくと思う。
天御祖神植福をさせていただいたんで、そこの意識をもっと深めたい。
○修行って日々のもので、教学。反省。瞑想っていう段階を教えてもらっているじゃないですか、
「仏弟子の反省」(CD)のなかの最後に伝道の反省というのがあって、伝道するためにはこういう手順を踏みましょう、この一週間の間にどれだけ伝道してますか、どれだけ縁を付けていますかという話があって、それをしていると、いろんな人に会って、心がぐちゃぐちゃになっても戻せるんですよね。
そういう部分を丁寧にやっていくことが、自分が成長していく過程なのかなって思いました。
○先生の御講義CDとかを使って反省するといいですよね。いろんな方法があるから。
○修行をシステマチックに構築していかないと、毎日やれないですね。
○観照的生活、これが今、現在において宗教修行として、さらに人間としての条件と、そこまで言われているんです。
これをしないと人間じゃなくなります、それくらい。動物と人間の境目をもっとくっきりさせないと、動物的人間がかなり増えてきている。科学万能で見失っている現状なので、ここをなんとか変えていかないと。
○原曲を聞いていると、人の気持ちが分かるようになる。縁起の理法がわかるようになる。
そうすると、相手の気持ちに寄り添えるようにある。
父との葛藤があって、いろんな研修を受けていたけど、原曲研修はその父の気持ちがポンと入ってきた。
頭じゃなくて気持ちで、あ~そうだったんだと分かった。
気持ちに寄り添うことが出来たらすごく信頼される。
そうすると相手との距離を縮めるのに時間短縮ができる。
○すごく、分かります。自分も今まで、知性だけできてて、教学をしてても文字面というか、主の教えを知性、理性で理解していて、これ、頭打ち感が凄いなっと。
原曲を受けだして、少しずつ感じるようになってきたので、もう少しハートチャクラの開発はいるなっと、ようやく自分も第一歩というところに来てます。
◯最近、祈りも直接先生に届いているという実感があって、その答えも頂いているなって。
凄く仕事が忙しいのもあって、身体を全然いたわってなくて、一生懸命働いてくれていた身体なのに、主にいただいた身体なのに、何の感謝していなくて、主に申し訳ないって思って、そこから感謝と反省。
そして、祈っていたら、すごく体調が悪かったのがケロッと治って、自分でもびっくり。
本当に感謝と祈りだなって思って、その回復は自分の力じゃなくて、先生から力をもらったって私は確信してます。だから祈りって、先生に伝わってる。
私たち以外は、全て先生だと思っている。
◯自分以外がいるから、いろんなことを学べて、気づかせていただけている。
◯私たちは仮の世で生きているので、この仮の世で何を掴みとるかが凄く大事。
※法談はいろんな話が出るので、あくまでも個人の意見であり感想です。こちらで適宜編集させていただいています。