原曲「透明な心」体感研修

2024年4月11日 大阪正心館

A 「聖霊の歌」について、まず、愛が強いなと思って。 はじめに何かわからないけど、「一千億年の孤独」のお話を思い出し、主は長い時間の間孤独だったから、逆に愛を知ったのかなと思って。

孤独だったから、どんな悪いことを言ってくる人でも愛しいし、話す相手がいるから、嬉しいし愛しい。 善悪を超えて、全部が愛しいという思いを主は掴まれたのかなと思いました。

「与える愛」って何かなと思って、それは自分の中から自然と出てくる、相手を愛しいと思うのがそうかなと感じました。 孤独と愛はすごい対称にあるものだなって。主は、みんなを愛することで、すべてを手にしたのかなと感じました。

あと二回目に聴いた時に、歌詞の中で「ヘルメス、大きくなれ、豊かになれ、知恵は輝き、愛は光」これって四正道と思いました。愛、知、反省、発展の順番が反対、逆になってて、この歌を繰り返し聴くと、自分の中にこの思いが入って、潜在意識から変われそうだなと感じました。

B 久々に聴きました、「聖霊の歌」。「聖霊の歌」「ヘルメスの歌」、どちらもそうですが、この頃の原曲って、楽曲と一体感がある。 「聖霊の歌」は以前、小川知子さんがこのまま歌ってたじゃないですか。何十年も前のは、そのままに近い感じで楽曲になっていたと原曲を聴いて思いました。

ヒーム様の霊言(※研修内で抜粋拝聴あり)を聴いて、ちょっと思ったのが、ヒーム様の霊言を抜粋だけ聴くと、マイシャ様チックなイメージがします。ヒーム様とマイシャ様が近い感じがしました。

ヘルメス様の母でもあるけど、ヒーム様ってエル・カンターレのピアノ、マイシャ様と近い部分が機能的にというか、方向性、傾向性に、あるような気がしました。

もう一つ「ヘルメスの歌」も両方、「『美しき誘惑』 の補助研修として」と講師がおっしゃっていましたが、私画皮、得意なんですよ、「The 画皮」みたいな。「画皮 of 幸福の科学」みたいな感じで。

でも「画皮系、妖怪はダメだよ。反省しなさい」ってずっと言われて、ムッチャ反省してきたんですが、今回、画皮的な心と、ギリシャの透明な心を対比してもらうと、すごくわかりやすかったです。

「画皮のこういう部分が、本来のエル・カンターレの透明な愛、ギリシャ的なヘルメス様の愛からしたら、ダメなところなんやな」っていうのが見られたので、すごくわかりやすかったです。

で、最後、ここ最近、仏教的であったり、知的なところ、例えば「オタやんの前世は誰誰だ」とか、色々絡んでることとか、ちょっとグノーシスチック、グノーシスはヘルメス様ですが、「わーっ、難しいな」って仏教的なことじゃなくて、ヘルメス様の「もっと透明な風だよ。人間性の解放性、魂の解放だよ」みたいな、そういう部分を今回聴けて、これはこれで、すごくよかったなと思って。

「エル・カンターレに至る道」は、仏教的でもいいんですけど、「西ルートと東ルート、どっちから登っても行くよね」みたいな。 どっちも修行、勉強するんですけど、道は一本ではないんだな、という感じがしました。

C 「聖霊の歌」について、紫央さんの本に書かれていること(※『言葉・愛・呪い』P25)を講師が言われてたんですが、「透明な風」になるというのを、原曲を聴いて、感じることが出来たのと、「ヘルメスの歌」はめずらしく、ヘルメス様がお祈りしているところがちょっと見れて、とっても良かった。

とても透明で、純粋で、見返りを求めないような。 だから自分の中の、画皮性とか妖怪性をきれいにして透明になって、この曲に合わせて生きていきたいなと思いました。

D  さっきの方と逆ですが、「聖霊の歌」を聴いた時に、原曲が意外と早いというか、楽曲の方がすごくゆっくりで、ちょっと意外な感じがしました。 エル・カンターレ文明だから、僕らが主の方に合わせていくことが大事だなと感じました。

僕らも原曲を違ったように聴いている、先生がこうおっしゃっているけど、自分の中で編曲して、理解しているところがあって、主の曲も法だから素直に受けて腑に落として伝えていくのが大事だなと思いました。

あと、ヒーム様がピアノだということですが、例えば、「あいつ暗いな」という人がいて、それは悪かもしれないけど、その人も調べ、美になっている。

その人も必要というか、それを通して曲になっていることも大事だし、例えば「水澤有一(守護霊)の霊言」に、「ギリシャの時代は、長調が短調となり、短調が長調となり」ってあったけど、その人が今は悪だけど、後に変わっていくこともあるし、いい奴が変わっていくこともあるし、

H 君も今は悪だけど、晩年彼が回心して、それが美になってという、そういうチャンスもあるのかなって思うんですよ。

今は悪だけど、永遠にその人が悪かといったら、そうじゃないと思うんです。 チャンスは残っていると思って、こういった美の法門があるかなと感じました。

E 「聖霊の歌」は、ギリシャにいるみたいな感じがして、ヘルメス様が歌って、アフロディーテ様がハープを弾いているような、マイシャ様と二人がいらして、みんなで歌を聴いているイメージが出てきました。

「ヘルメスの歌」は、エル・カンターレの悲しさが伝わってきて、いっぱい法を説いても、人類がまったく聞いていないのを、エル・カンターレが悲しんでいる、ヘルメス様の涙が落ちているイメージが伝わってきました。「ヒームの霊言」の時は、宇宙の星が、音符のように踊っているイメージが来ました。

F Eさんに質問です。 前で手話していた時に、Eさんは原曲がはじまったら、すごい踊ったり、本当に歌いだしそうな様子があったんです、二曲とも。

今までいつも、御法話とか研修とかでもずっと静かなんですよ。 でも今日はじめて、原曲を聴いている時に、すごい、わーってなったのは、なぜ?何が起こったの?

E 勝手に動いた。 実は、公案参究の時も、勝手に動くとか、瞑想の時とか、四禅定の時も、実は勝手に動くこともありました。

「風と雲の瞑想」の時は、雲に乗って、雲の上を歩くイメージや、雲になったイメージもあったし、体が動いて、ほんまに音楽になりきってるイメージがあります。

A ヒーム様が「私は宇宙の調べ」みたいなことを言っていたが、みんなも自分の調べがあるから、宇宙の調べに合わせて、体が自然に動いていたのかな?

E  調べの波と同通しています。

G 教学で、与える愛の勉強をずっとしているけど、なかなか入ってこなかった。

今日「聖霊の歌」を聴いて、私は主から、愛をすべていただいたような気がして、それが私にとっては、すでに亡くなった母親の無償の愛というのを、ここでやっと初めて感じられたというのが今日の感想です。

H 「聖霊の歌」の、小川知子さんの歌は、映画の時からずっと好きで聴いていました。で、先生がああいうふうに歌われたものが、あの歌になるんだとはじめて実感としてわかった、原曲の生まれ方っていうのかな。

本当に「愛は風の如く」という言葉はとても好きで、よく使い、「成功のための祈り」も、よくあげてたんですが、もっともっと前からわかってなかったんやなというか。

何十年も前から聞いていて「透明な風になりたい」とか、「透明な愛を与える人になりたい」って言っていて、もっと学べているんじゃないかなと思ってたのが、実はあまり深く学べてなかったことと、妖怪性みたいな、勝手に解釈を変えていたところがあったというのを、今日反省しました。

I 七階の礼拝堂に入ったときに、講師の方が磁場を整えて下さっていたんだなと感じて、透明な愛の風が礼拝堂に吹き渡っているっていうのを感じました。

はじめてこの原曲「聖霊の歌」を聴いたんですけど、その時に、若き日のヘルメス様のお姿が出てきて、ヘルメス様が竪琴を弾きながら、愛の歌を歌ってらっしゃるという、無償の愛で歌ってらっしゃるというのを感じました。

画皮と比べると『美しき誘惑』のあの曲が頭の中に流れてきて、その時のイメージが縛り付ける愛。

「あなたを殺す」っていうような言葉があったと思うんですが、何とねちっこいというか、そのイメージが出てきて、この今回の曲との対比でそれを学ばせていただいたのが、すごく…。

あの曲は嫌いではなかったんですが、この美しい、何とも言えない、無我なる、吹き通るような愛の風の曲を聴かせてもらったときに、心が浄化されるような感じをすごく受けて。

ここまで来るのに電車で約2時間かかり、いつも先生の楽曲を聞いているんですが、講師が「魂のカルマが浄化されていく」っていうことを言われてましたけど、知らず知らず、心が先生の波動に持ち上げられていく、変わってきているんじゃないかなと。

特に皆様と一緒に研修を受けたからこそ、霊的にぐっと上がっているような感じを受け、また一緒に受けさせていただくことが、すごく幸せで、ありがとうございました。

J 原曲は「魂のチューニング」って聞いているので、いかに合わせるか、ということを気を付けていて、あんまり難しいことが分からない、ただ感じることを大切にしようと思ってます。

この研修は2回目で、「聖霊の歌」は大好きで入りやすい、でも「ヘルメスの歌」は、自分の画皮的な恋が邪魔になって、1回目は全然入れなかったんです。

今回、1回目から時間がたって、その間に、楽曲もずっと聞き、原曲も色々受けてきて、主の透明な愛がちょっとだけわかってきたのか、少し、素直に入るようになりました。

また、自分の心がすごく硬くなっていると思っていて、ある人が研修を受けて「自分の心が硬くなっていて、法をはじいているのがわかった」という気付きを聞いた時、「私のことだ」と思った。

反省だけで取れないのを、原曲、楽曲、小説、映画などで、硬い殻を少しずつ、はがしていただけているような感じがします。

なので、素直に受けることと、先ほどから何人もの方がおっしゃってるように、主に合わせること、チューニングすることが大事。チューニングするなかで、自分の画皮性、妖怪性が出てくるので、そこを逃げずに、いかに見つめるか。

原曲研修で、透明な愛をちょっとずつ掴みながら、また三次元でドロドロになるの繰り返しだけど、それでも、ちょっとずつでも進んでいるかな、進んでいこうと思いました。

K 今日参加させていただいて、意外と原曲が響くと思いました。

その理由は、最近自分の心がバタバタしていて、相手に対してイライラし、つい爆発してしまう、口うるさく言ってしまうことがあったんですが、「ヘルメスの歌」を聴いていて、主は自分に怒らないのに自分は人を裁いてしまう、違うなと。

主から愛を与えていただいている、その愛を感じることが出来ました。そして反省しました。

もう一つは、以前愛媛県にいた時、色んな問題が起きた時に、必ず最後一人で近くの海に行って、海を見るクセがありました。

ただただ海をぼぉーと見ている感じ、涙流している感じだったけど、波がぶつかる様子とか見ていて、言葉では説明できないんですが、何か響くものがあったんです。 それがこれだなと。主からの答え、なぐさめかなと。波を通して、なぐさめがあったのかと今は思っています。

A 「ヘルメスの歌」について、自分の心や今の状況をそのまま歌っているんだなと。

見栄とか飾りとかがない、ただただ「悲しいです」とか、そのまま言っているので、現代の出来る人とか、恋愛ドラマとかだと、駆け引きとかあるじゃないですか?恋の駆け引きとかあるので、そういうのに慣れている人から見たら、「アホじゃないか」と思うような、馬鹿正直というか、そういう悪い見方をしてしまいそうな、でもそれがすごいなーと思って。

私も今まで、好きになった人が何人かいるけど、こんな純粋な恋ではなかったようなとちょっと思いました。 よく言えば、過去の恋愛の、小学校の頃の初恋が一番きれいだった。

付き合うとかも考えないで、ただ好き、憧れだけなので、そういう苦い思い出がよみがえってきて、おぉーってなりました。

L 「聖霊の歌」は、エーゲ海の、青い透き通った透明な心、エル・カンターレの、ヘルメスの心のような。

歌詞の中で「天使の羽から生まれたものたち、心強くあるように、大きくなって、豊かな知恵、心を磨いていく、光の仲間を見る、愛は風の如く」。

それと、天使、聖霊に深い意味が込められている。 私は画皮、汚れている、真っ黒。 それを透明な心に変えていく力が弱くて、もっともっと研修をたくさん受けて、大きくなっていきたいと思いました。

M 「透明な心」研修で、最後に反省の時間をいただいたと思うんですけど、そのきっかけが、過去の恋の反省の時に、多分守護霊の声だと思うんですが、「話にならん」って言われて。

今、頭で考えて、いろんな好きな人がいた時に、色々悩みがあって、でも「相手の幸せを願う」とか、「幸せならいいんじゃない?」みたいな、そういうふうに考えていたんですけど、「透明な心」っていったら、最後に残るのが、「我が心の内にあこがれだけ秘めて」ってあるんですが、私が考えていたのと全然違う。

「透明な心」っていうけれども、最初に戻るのですが、「透明である」ということは、「ない」ということではなくて、ヘルメス様の祈りの言葉とか、大阪で連続4回説いていただいた『ユートピア価値革命』の内容とかを、私たちはこれから学んでいかないといけないと。

透明と言いつつ、お祈りの言葉を見ていると、めちゃめちゃ仏教的な内容が全部入っているんですよ、だから何もないわけじゃなく。

「透明な心」がなければ、色んなことが見えてこない。三次元で色んな事があって、学んでいくんですが、それ自体も、私たちの心の中が透明でなければ、人も出来事も見えないのかなと思いました。

恋愛の話、その相手だけでなく、周りの存在とかって、自分のプライドとか、いろんなものがありますよね?

だから、自分が傷つきたくないとか、そういうことを考えたら、画皮どころでなく、自分の心が執着だらけになっちゃうのかなと、反省の材料としてものすごく有効かなと思いました。

※法談はいろんな話が出るので、あくまでも個人の意見であり、感想です。こちらで適宜編集させていただいています。

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