原曲「風鈴とリンカーン」体感研修① 


5月25日 新宿精舎

A 風鈴とリンカーンの、リンカーンの部分は鐘なんだと思うんですよ。なぜかというと、ボストンの地に行くでしょう。ボストンってリバティベルなんですよ。

アメリカの象徴なんですけど。その時点で風鈴とベル、リバティベル、必ず追いつくんだという志があった。

B リバティベルって?

A 自由の鐘、アメリカの象徴。

B あ~、それをリンカーンに例えているってことね。

C 先生のお写真がすごく印象に残っているというか、講師の方は、この詩を書かれたときに、この写真があったんじゃないかとおっしゃってましたけど、私は、先生のなかで、その写真はすごく記憶に残っている写真じゃないかと思って、それを思い出しながら書いたんではないかと思いました。

B 見ながらじゃなくて、それだけ、より心に残っていた。

C この写真、すごく意味があるというか、多分、その時は、先生はご自分の魂とリンカーンの魂が繋がっているとは思われていなかったと思うんです。でも、天上界から見たら分かっている。

この写真を撮られた瞬間というのは、先生の生涯のなかでも意味が深い瞬間。

B 実は歴史的瞬間だった。

C 先生は冗談で書いたみたいなことをおっしゃっていたけど、やはりそんなことはない。ちゃんと意味がある。

B リンカーンということで、昨日、霊言を読んだのですけど、実際の戦争をやっていたけど、霊的にも戦っていたんだと言われていて。

昔、リンカーンの映画があったでしょう。斧を振って戦うみたいな。霊言のなかで、リンカーンがあれは事実なんですよ、霊的にも戦っていて、降魔をしていたんですって言われていて。国が二つに割れようとしているときに、悪魔が暗躍しないということはないって。

そして風鈴って魔除け、そういう意味もあるんですって。だから、そういうところとも掛けているのかなって。霊的な戦いもやっていて、霊的な戦いに勝ったからこそ、この世での南北戦争にも勝てたと思うんですよね。

先生は肉の身の奴隷を解放したに過ぎないとは言ってますけど。実際の先生のほうも、この二年後とかに降魔成道をやってらっしゃるんですよね。

ただ、リンカーンは実際の戦いだったけど、先生の場合は精神的なものじゃないですか。こっちにいたほうが、商社で出世できるとか、この世的な欲とかに襲われて、そしてそこに打ち勝って、自らを解放して、教団の設立にいったわけですよね。ですから、どちらも降魔がある。

A あと、凄いなと思ったのは、書いた詩が全部、歌になっているでしょう。詩人っていうのは、朗読のCDとかだしたりするんですよ。

音楽に乗せて自分の詩を朗読するっていうのもあるんですよ。普通、詩人ってそこまでなんですよ。

歌にできないのね、音楽家じゃないから。でも、先生はやっちゃうんですよね。どういう才能なんだろうと思っちゃいましたよ。

B 曲をつけることによって、より、その時の気持ちであるとか、情景とかがわかるじゃないですか。で、凄いのは、その作曲自体は、この詩が書かれてから何十年も経っているのに、その時の心境のまま曲をつけている感じじゃないですか。

A うまくこちらが同通するっていうか、情景が浮かんでくるんですよね。

C そうなんですよね。

B この最初の「ふと、リンカーンを思い出した」までのくだりが、結構、静かじゃなかったですか。情景として、すごーく静かな部屋の中で、風鈴だけがリーンリーンってなっている、その情景のなかから、グーッと入っていくみたいな。

そんな情景が浮かんできて。どの詩も映像として出てくるよね。

A やはり重要なのは、精神の奴隷からの解放。今、世界中の人が洗脳されている。そういう状況にあると思うんですよ。

その部分をね、やはり解放していかないといけない。単に足枷とかを取るんじゃなくて、洗脳されている部分を断ち切って一人一人立ちあがってもらわなきゃいけない。そういうところを感じましたよ。

B 今日、この原曲を受けて。かなり大事な曲だと思いました。今まで、そんな気にしてなかった。でも、今、言われていたように、洗脳から脱出しないといけないというのは、教団そのものも、そういうところあるじゃないですか、妖怪性からの脱却とか。

日本神道の、あーゆーところからの洗脳って相当受けてるし、転生の過程で身についちゃってる。そこを先生が説かれている真理の力で解放しないといけない。

A 昨日、法友と、「天御祖神の夢」の原曲研修に行ってきたんですよ。今回は二回目だったんだけど、もう、前回とは全然違うような感じ。

B 二回目ってすごいよね。一回目って、あまり入れないみたいな感じで、さわりぐらいの感じなんだけど、二回目って、そういうことか!とかなるね。

A この歌詞の一つ一つの意味はね、こうか!とかね。

C 支部の復活の祈り版の「二十二世紀の君」を受けたけど、分からなかった。でも、他の法友の感想を聞いたら、そうだったの!とびっくりした。

B でも、前回は二十二世紀の君だったけど、難しかったよね。

A 「天御祖神の夢」に桃源郷って出てくるけど、これってひょっとしたらシャンバラのことじゃないかと思った。二十二世紀の君を思い出して。日本がロシア領になるかもしれないけど、神話として残ってシャンバラになるんだと思った。

で、二十二世紀の君で、螺旋階段を降りるといろんな国籍の子供がいるって。天御祖神の夢にあるように、「ここに集まれかし~」って、世界から人が集まってくる。これシャンバラのことなんだと思った。

A 先生はずっと思いを持っている、継続っていうか。今はちょっとリンカーンにかなわない部分もあるけど志を持って続けていく。

B この当時はリンカーンと競っている。でも、曲をつけたときは、はるかに超えているわけですよね。

たぶん、ずっと、そうやってその時々のいろんな人たちを超えてきている。でも、曲を付けた時は、その時の気持ちのままつけてる、これが凄いよね。

で、「自分一人をも解放できないでいる」って言ったあとに、「けれども」って、音が上がっていくんだよね。上がっていく時って、前に進もうとか、希望とかがあるから、落ち込んでいるわけじゃないんだよね。

必ずやってやるぞ、みたいなね。先生、相当強気だよね。

C そうそう、感じましたね。そのあたり。

A 常勝思考って、やはり腰を据えないと言えないって。あと、大学生協の一万円のトレンチコート、79ドル、まだまだアメリカが豊かだった当時のこと。

B 先生の詩とか小説とか、全部そうだけど、後世にまで残そうって思いがあるから、時代背景がわかるようにしてくだっている。

確か、十字架の女余話で、元の原稿には執筆年月日が書いてあるけど、小説になると書いていないから、いつ頃書かれたものかが後世分るように、わざと時事問題をちらちらと挟んでいるっておっしゃっていた。 

先日、法友と話していて、先生の歌って、ある意味、マルチバースなんだって言ってた。一つの歌のなかに、世界が重なってある。だから、視点がどんどん変わっていく。

昨日、「ヤイドロンの勇気」の法談レジュメを見たけど、あれっ、ヤイドロン様の視点かなって思っていたら、違う人の視点だったとか、他のでも結構ある。

A 誰だか分からなくなったりする。

B そうそう、主体が変わったり、主語が変わったりとか、それはマルチバースの、いろんな世界が、その一つのなかで展開しているから。あんなふうになる。だから、先生の原曲はそう簡単に分かる内容ではないですね。

※法談はいろんな話しが出るので、あくまでも個人の意見であり、感想です。こちらで適宜編集させていただいています。

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