原曲「青春の卵」体感研修②

2024年6月13日 大阪正心館」
A 元々地元が四国、高知で、お隣の徳島には何度も行ったことがあるし、四国全体が似ているので、吉野川の情景などもなじみがあります。
そういうのを思い出しながら聞いて、その前に『言葉・愛・呪い』対談の紫央さんの、育った環境は似ているのに、心境が遠かったという話を聞いて、しみじみ「そうだな…」って思いながら最初聞いていました。
今回特に、一番今キーの「真・善・美」の「美の法門」が、わかるようでわからない。心が美しいというだけでなく、その奥にある世界がわからない。
美を求める心が自分にあるのかなとか。今日受けていて、美、美しさそのもの…
地元の高地・桂浜を案内している時に、見慣れた海、木などの景色の奥にある仏性・光が感じられて、いつもと全然違う美しい景色を見て感動したことを思いだし、まだ掴みが浅いので形骸化しそうですが、美の奥底にある世界の本質の美しさ、それをハッと感じ取るその喜び。
その感覚であれば、許しが当たりまえの世界、そして繋がっていくような、そういう感覚を最後の最後で「これかも?」って感じで、主のおっしゃっている美の法門の、欠片の欠片の、億分の一がこんな感じかなって、それを今日いただきました。
B 原曲研修が久々なので、原曲の感性が鈍っていると思ったので、今日は主のバイブレーションをちょっとでも受け取ろうと、無になってみました。
一瞬だけ、主のお育ちになってきた感覚と同通、感じさせていただいて、主のよくおっしゃる透明な心を一瞬、米粒ほど感じさせていただいて、本当に透明だったんですよ!
心が美しくとか、真っ白とか、そんな感じじゃなく、本当に向こうが透けて見えるぐらいきれいな丸い心が。私は反抗期真っ最中、真っ黒だったので、「こんな中学生、いるの?」っていうぐらい、美しく、びっくりしてしまって。
それに、以前主の法が歌に聞こえたことがあって、主の言霊「歌っている?」と思ったら御法話だったという。主のお言葉が美しすきて、言霊も楽曲も、究極にいったら本当は大差がないかもしれないと思って。それをわかる心境に早くなりたい、頑張ろうと思いました。
C 歌詞の「赤土にローラーをかけて、~私たちだった」のところ、当時の自分と比べて、詩は書けるけど、先生のように上手に書けない、ポエムの心も透明でない。
中学の頃は野球バカで、朝早くから晩までずっと、授業中も野球のことばかりだった。それを反省して、透明な心に変えたい、変えます。
D 中学校の頃を思い出し、良い思い出も悪い思い出もいっぱいありました。思春期は難しい時で、友達との関係がうまくいかないとかいじめの問題もあったし。
この歌を聞くまでは、中学時代は泥水の中にいるような気分で、そういうイメージがこびりついていたけど、三回聞いて、中学時代を振りかえってみると悪いことばかりではなかったと思いました。
窓側の席だったので、外の自然の景色をぼーっと見るのが好きだったこと。耳が聞こえないことを分かってくれない人もいたけど、理解してくれる人もいたし、困った時に違うクラスの子が助けてくれたりとかあって、みんな心がいいなと思いました。
人や自然とかみんな、私を温かく見守ってくれているような感覚がして、美の世界に通じるのかなとちょっと思いました。幸せな気持ちになりました。
E 歌詞の「新しく学べることが ただただ、うれしかった」のところが、自分も中学の頃、世の中の仕組みとか、色々勉強することがうれしくて、幸福だったことを思い出しました。
多分、知的好奇心、小学校高学年から中学生の頃、色々なことに興味をもって、知りたいことを勉強したかったと思ってました。けれど同時に、学校の中でいじめもあって、先生から「なんで学校に行くの?」と言われたこともありました。
学校は勉強するところなのに、先生がわかってくれないことがすごく苦しかった。そういうことを思い出しました。
F この詩を中学校時代に知りたかったと思いました。この先生の透明な見方、価値観を、あの時代に知っていたら、もっともっと学べたのになって。
中学時代は一番楽しかった時代だったけど、振り返ると心の葛藤が始まった時代でもあって、色んな悩みとか友達との比較とか、自分の悩みの原点がそこにもあったのかなと思います。
その時代に、先生のこの精進があったなら、もっと輝いていただろなって。その輝きっていうのが、人生の中で、その時だけでなく、ずっと続いて、人生の軌跡の中で輝いていく。
私に足りなかったのは努力なんですけれども、その時から人生を輝かせていたら良かったなと思いました。今からでも間に合いますかね。
最後に「成長の痛み」が出てきて、何かすごくきれいで、ちょっとまた考えてみます。でも、色んな悩みや出来事の中から、輝きを見つけていけたらいいなと思いました。
G この詩を先生が、2021年65歳の時に中学校の時に戻って書かれたということ。
「貧しくもなく~うれしかった」「後々に ~秀才と呼ばれるなんて 考えてもみなかった」のところ、多分中学時代先生はすごく貧しかったと思うけど、環境じゃなく、ただただ自分が出来ることをされていてすごい。
全然人や環境のせいにするのでなくて、自分で努力をずっとされてきて、そういうところがすごく良かったです。あと「工場の跡地」のところで、『あるコオロギの願い』とかでも書かれてますよね?
また虫を見ながら仏性、命、そういうのを考えられたって言われたけど、それって「光に集まって来た」というのは、それは私たちかなって思いました。
H 一番初めに聞いた時、歌いだしのところで、なんかすごい瑞々しさを感じました。今まで色んな原曲で透明感美しさは感じてきたけど、瑞々しさは初めてで、また瑞々しさ感じたのも久々、この瑞々しさって何だろうと考えてたけど、研修中ではわからず忘れてたけど忘れていけないものかなって。
先生はこの詩を中学時代を振り返って書いたものなので、当時の思いもこもっているから、その当時の思いの中に、この瑞々しさも甦っているのかもしれないかも。
私も中学時代を振り返って、少し前までは自分の悪いところばかりに思いがいって、落ち込むばかりだったけど、それも違う中道を外してると反省し正しく見ようと思ったらいいところも見えてきました。
が、痛い黒歴史も甦ってきたので、ちょっと時間を置いて改めて別の時に生涯反省しようと思います。また「成長の痛み」という言葉が刺さって、成長には痛みが伴うってことが、初めてわかった腑に落ちました。
痛みは嫌だ避けたいと思ってたけど、代償の法則、痛みを受け入れた時に成長できるんだって気がつかせていただいたので、過去を振り返る時も、これからの未来に向けても、そこを押さえようと思いました。
また、私も中学時代にこの詩を知りたかったです。今の中学時代にこれを学んでいる方々はすごいと思いました。これを今現在学びながら、成長している子達は素晴らしいなと。
D 私が中学時代にこの詩を読んでも、分からなかったと思います。
全員 確かに、実際はそうかも(笑)。
D 私の中学時代は、勉強嫌いで、好きな科目は勉強してても、苦手な科目はほったらかしてました。先生はまんべんなく勉強し、努力してるのですごいなと。
F 教会の小学校に通っていて、自分の心を見る習慣はあったと思うのですが、心の調律をどうするかは、真理に出会うまでわからなくて、小さな頃に幸福の科学の教えを聞いていると、色んな悩みが出てきても学びになるのかなと。
D 中学生の時に心のコントロール法を知りたかったです。
F そうそう、そうなんです。
C 今後悔してます。中学生の頃に、自分中心だったこと。ずっと授業中でもノートに野球のことを書くぐらい。
F いいじゃない?一生懸命に打ち込んでいて。
D 私も授業中、絵や手紙を描いてまわしたり…
全員 確かに、それもよくやりました。
C 先生の詩のように、朝練でグランドにトンボをかけて、授業後にクラブで練習、休みなく厳しかった。練習後もみんなで食べに行って、話すのも自分のことばかりでぶつかり合いが多かった。
試験中も、野球のことばかり。それを反省、もっと他のことも顧みなかったのか、勉強ももっとして、レベルの高い学校に行くことも出来たのに、学ぶことは絶対大切だと思いました。
F 逆に野球にそれだけ打ち込んだこと自体、すごいことだと思うので、そこから学ぶこともいっぱいあると思うんです。
C 人の話も、もっとよく聞いておけばよかったなと。団体競技なのに、もっと先のこと、周りのことも考えればよかった、個人プレー的だったかも。心のことなんか考えてなかった。
I 過去を振り返って、今の自分が何らかの気づきを得ることができれば、そこから卒業してもいいのかなと。
みんな色んな痛みを抱えながら生きていると思うんですけど、それを振り返って、そこから学んだことに気づけたら、それが宝物。
成功からの学びもあるけど、失敗で終わったからこそ、痛みと共に、深く気づくこともあると思うので、今の野球の話も聞いていて、「もっと幅広く勉強すればよかった。周りことも考えればよかった」という気づきも、一心不乱に野球に打ち込んだからこそ、今上手くいかなかった後悔があるからこそ、大事なことをつかめたのではないかと思いました。
一直線にうまくいくことだけでなく、上手くいかなかったとか後悔があるからこそ、大事なことをつかめるのでは。
何かつかめた時に、その時の人や環境があってのこととして、感謝して、新しい自分になって、前に向かって歩いていきたい。
先生の教えで「今の自分が輝けば、過去も輝いて見える」という、そういうことかと思いました。
※法談はいろんな話しが出るので、あくまでも個人の意見であり、感想です。こちらで適宜編集させていただいています。