原曲「風鈴とリンカーン」体感研修②

5月25日 新宿精舎
A リンカーン像の前で決意した青年が、今ではエルカンターレ像として多くの人々に決意される存在になった。決意する側から決意される側に変わったのは、 世界を包むほど大きな志を持ちながら、それに見合う努力をし続けたから。
リンカーンはノミやネズミが這いずりまわるような劣悪な環境で少年時代を過ごし、 人生で何度も苦しみを味わったのに「まだ打つ手が残ってる限り、私は決してゲームを投げたりしない」と言って諦めなかった。
主も同じように、挫折があっても言い訳せずに行動されてきた。もし途中で主が諦めていたら、私が法友の皆さんとこうして出会うこともなかったはず。
だから、自分の行動がどんなに小さく思えたとしても、それが将来誰かの苦しみを和らげたり、人生を変えるきっかけになると信じて、私も努力を積み重ねていこうと決意しました。
B 苦しいNY時代とか名古屋の時代とかそういう時代を含めて、小さい頃から努力をずっと続けてこられた主が決して諦めないで、実際にリンカーンの前にいた時には、信者は誰もいない状態でしたけども努力を続け、人類への愛を忘れずに持たれていたことで、エル・カンターレとして全人類に愛を与えて下さるという感じですね。
広めて下さるという事ができたっていうことで、 私たちもその誓願をちゃんと大事にして、努力を続けていきたいなって思います。
C 今日は台湾有事になりそうな状況がもう出てきちゃって、研修前に動揺が出ちゃったんですけど、その中でこの原曲を学べたことがすごい大きいなと思ったんです。
主が自分もまだ何者でもないのに、これからの構想を練ってるだけの状態での誓いの後は「私の心の中では」ってすごい強調されて 「現実がどうであろうが 自分の中で自分の理想と戦ってやり続けなきゃいけないんだ」というのをこの詩から学ばせていただいて。
世紀末現象も出てきて心揺れたりする状況の中でも、原曲参加してると、永遠性をその詩の中に閉じ込めているなって感じることが多いので、この世は諸行無常ということを常に念頭に置きながら、その中で永遠性、愛とか変わらないものを常に自分の心の中に置き続けるよう目指しながら、不安の中にいる人たちに主の愛を伝えていきたいなって、改めて研修を通して思わせていただきました。
自由法談
A 講師のお話であったような、さらさらと書いてるっていう、顕在意識で一生懸命考えて書いたっていうよりは、潜在意識から出てきたものなのかなっていう気がして。
C なるほどね。先生、やっぱりリンカーンってわかってたよね?
私たちは、後からリンカーンの分身と教えてもらったけど。この感じって、当時も知ってたんじゃないかなと思っちゃう。だって、顔真似たりとか、すごく似たものを感じてたのかなって。
リンカーンの生き様と、自分がすごく重なってたのかな。
A リンカーンもどん底から這い上がってきて。主も平民からスタートしてて、そこも似てますもんね。トレースして同じ道をたどっている感じがしますよね。
A 言葉では競ってると書いてあるんですけど、私の感覚としては、競ってるというよりは人間の立場は置いといて、エル・カンターレ意識としては、競ってるんじゃなく、自分の露払いとして出てくれたリンカーに対する労い「よくここまで頑張ったね、あとは精神の奴隷の解放は私が引き継ぐからね」みたいな。
前回の青春の卵の時もそうなんですけど、お父様の夢を引き継いで、さらに発展して大きく昇華させたのと近くて、リンカーンの第1段階の夢を引き継いで、もっと大きく昇華していったみたいのが、ちょっと似てるなと。バトンを引き継いだみたいな。
C あるかもね。
A リンカーンという前座が終わって、真打ちのエル・カンターレが登場という感じがしました。
C 「 私が今誓ったから、精神の奴隷の解放するのを見届けてくれよ」誓願が成就した時に「よくぞ精神の奴隷を解放してみせたな」ってリンカーンよ言ってくれよ、それまで頑張り抜くからってリンカーンに誓ったような感じがしたんだよね。だから、 あなたは肉の奴隷の解放だけど、私は精神の解放という果たし状じゃないけどさ。
ある意味、恋人に誓った「この風の声が聞こえないか」みたいな感じ。
A それぞれの偉人に対して、そういう感じなんで
C なんだね。そうかもね。
A 永遠の京都でも、ソクラテスとか四大聖人とかあったじゃない。全員に対して、そういう感じなのかな。
C ここからすごい曲調が強くなるんだよね。曲にすごく高揚感が出てくるしさ。ここがすごく静かな本当に風鈴が鳴ってる情景じゃない。ゆっくりで。
A 現実はこうなんだけど、でもって
C うん、そうそう。この「けれども」って強かったよね。これが、2年前の時と、その2年経った自分はこうだけどって、その心境の違い。
A 2年前に決意して、でも2年経っても全然現実化してない。もがいている感じですね。
C うん、まだ自分1人も解放してない。 でも主は「けれども、自分の心の理想はもう凛とし立ってる」って決めてる感じ。普通だったら、まだ自分1人もできないんでと、私はここで止まっちゃってるけど。
でも、主はそれを超えて、自分はこうするというのを明確に。この思いの違いってどういうところから来るんだろう。
A 結果が出ない時にそういう思いを持ち続けるってなかなか大変ですよね。
C 難しいよね。そこが凡人との分かれ目だと思うんだけど。
「ブルーミングデールで買った」ってここも強調して言ってるから、その高級デパートで唯一買ったのが、ここがまあ立派なリンカーンとの対比。自分はその上に生協で買ったトレンチコート。そこが今の等身大の自分で。
で、トレンチコートはリンカーンも着てたじゃない。服装として似たような服装してるわけよ。 そこでさ、唯一のニューヨークで買った主が1つだけちょっと重なるのがこの79ドルのグレーのセーターなのかなと思って、そこが対比ぽいなと思ってね。
トレンチコートだけは似てたり、 でも、顔は似てないけど似せようとしてたり、葛藤が現れてるなって。この表現の中にね、今の自分を見ての自分っていうのがね。
余計その中での主の思いが現実なんだというのが凄くリアルに浮かび上がる感じかな。さっきの講師の説明で主が格はいくでも辛い時ほど歌ってると「あ、そっか」と思って、確かに。
辛い中でも詩のような美しい視点をずっと持たれていて凄い。どうしてなんだろうってほんとに思う。見える世界が美しいもんね。
A 自分にとっては苦しみだけど、それを詩とか形にすることによって、我々にとっては喜びというかね、ありがたいこと なので。
自分は苦しんで身を削ってでも、人類に対しては喜びに変えるっていう、 苦しみを喜びに変えられる存在。
C そうだね、どんな時でもね、常に思いも直ぐ超えちゃうんだよね主はね。私は思いもすでに負けちゃってるけど。
A 競ってるとかも、別に偉くなりたいとかそういうので競ってるわけじゃない。
C 自分に打ち克つとかだよね。すごいよね、最後のこれ「永遠に競い続ける」永遠って言える?私は言えないよねと思って。
A 2年頑張るだけでもきついのに、永遠にやるってもう決めてるわけじゃないですか。そこがすごい。
C もう無限大だよね。思いが無限じゃない。すごいなと思って。この永遠が。
A 勝つまでやるし、勝っても永遠にやる。
C 永遠だよね。これが神様だよね。根本仏で全て無限大になるよね。でも一日一生。ほんとにすごいよね。
A 自己自身ではそんなに頑張ってる感もないんでしょうね。当たり前というかね。
C そうそうそう、もう習慣化してね。
A 青春詩集 愛のあとさきの中に「小さな願い」という詩がありますけど、我々からすると大きい願い、大きすぎる願いなんだけど、主からするとちっちゃい。 こんなもんじゃないと。
C ほんとだね。ほんとだ。
A 小さくない。全然小さくない我々からするとね。
C やっぱ人間の体に宿ってる身だから、人間としての小ささかな。でも意識がはみ出してんだね。もうね。
A 確かに、その神々の主が肉体に宿るって、それは精神の奴隷ですよね。そうじゃないですか。
C うん、束縛の中でね
A 全く力が出せない。
C 先生がリンカーンのことを研究してたっていうのがね、リンカーンの生き様は、先生の生き様と似てるよね。
だから分霊は空海もあるけど、空海よりも私たちに影響力を与えるっていうか。
空海はスーパースターみたいな感じで、主の霊的な魔法の部分っていうかオフェアリス神みたいな感じが出てるけど、リンカーンは人としての生き様で後世の最大遺物みたいな感じあるよね。
A スーパーマンだとすごいけど、我々にとっての学びっていう点からすると
C 隔絶しちゃうんだよね。だから、いかに主が今回は「1人1人が偉大になって欲しい」っていう思いを余計そういうところから感じるよね。その生き様をしてくださったってことがね。
A リンカーンのようにどん底でも、私のように徳島の田舎でもできたんだから、あなたがたにできないわけないでしょみたいな。
C だって本当は魔法なんか使えるぐらいのレベルでしょ主は。でも漏尽通力で 漏れないようにさ、普通の人として生きる
A 武器はたくさんあるけど、あえて使わずに、あなたたちにレベルを合わせて
C そうそう、本当は観自在なのにね。凄いなー
復活の祈りとかあっても「人間として生きてくださったこと自体が本当にありがたいな」って。本当は主は人間の体に宿るの大変だったんだなって、原曲聞いててさ、思うもんね。
A その若かった頃とか、その途中のプロセスを見せていただけるっていうのはすごいありがたいです。完成形だけをただ見せるんじゃない。
C そこもすごい愛だよね。 中学生まで詩を書いててくださってね。でもこういうのを通すと、やっぱり自分も理想に近づかなくてはいけないってことなのね。主がされてきたように、 私たちは理想は主になっちゃうけど。
でもさ主のように理想を越えようっていう感じないもんね。自分はその偉人を超えるって絶対!と先生思って来られるているじゃない。だからさ、もう自分の全てを差し出す、最高のものを差し出す、超えよう超えようってされてきたと思うんだけど。
偉大なる人となれって言われてるのに、それさえも「え?そんな、自分そんなのでないし」と思うとこがあって。この前、研修に出た時に講師に言われた「菩薩になろうと思ってないとダメですよって思わないとなれないから」って。でも思ってないわけ。
A あ、私も思ってないです。
C 死んだ後に評価され、それは謙虚に受け止めるけど、そこまでとか思ったことないから、思わなきゃいけないの?なんでなんだろうと思ったけど、でもちょっとその感じが主のこの姿勢を見ると、やっぱそうしなきゃいけないのかなって。
A 永遠の京都でも「自分の凡人性に気づくことは悪ではない。しかし、非凡であろうとすることを簡単にあきらめるのは悪である。」という部分がある。だから菩薩であろうとすることを簡単にあきらめるのは悪である。
C あーすごい。なんか書き留めたのね。すごい。それじゃん!
A いや、自分もそうだなと思ったんですよ。別に良い世界に還りたくて信仰してるわけでもないしなと思っていた。
C そうそうそうそう。
A でもよく考えたら、自分は最初から諦めてるだけだと気づいた。
C 私もそうだわ。そっか。やっぱ主がそう願ってるんだもんね、私たちにね。
A 菩薩になれって言われているんだから、なれるかどうかは置いといて、少なくとも本気で目指せよってとこですよね。
C 菩薩目指してんのは職員さんとかその辺かなと思ってて。 ペーペーのその辺の末端会員だし。
A 諦めるんじゃないってこと。
C そういうことだね。志高くそこに向かって本気でやれってことだね。志掲げないのは逃げてるということか。
A 「ブルーミングデール」は先ほど老舗って言ってたじゃないですか。老舗は熟練、老練を表している。映画「二十歳に還りたい。」の晩年の一徳みたいな感じ。
反対に「大学生協」は若さ、青年を表している。20歳に戻った一徳のようなイメージ。
だから、老練さと青年との融合のように私は感じました。
C この服の描写はそれを投影してるのね。 なるほど。あるかもね。先生、いつもずっと20歳の心って書いてあったもんね。格はいくにね
A 両方あるんですよね。若い部分の純粋さと、老練で何でも知り尽くしてる部分。両方持ってるのがすごい。
※法談はいろんな話しが出るので、あくまでも個人の意見であり、感想です。こちらで適宜編集させていただいています。