『詩集Leftover―青春のなごり―』原曲研修(1)(「遠い日」「風車」「君の名も知らず…」)①

2026.5.1 四国正心館
A 研修に参加する前に、詩を3つ全部読んだので、全体的なイメージが入って、先入観というか、そのイメージで聴いてたので、『遠い日』が映像で何となく見えたというか。
麦わら帽子をかぶった少女が自分の方を見ていて、夏の眩しい光がさんさんと降りそそいでて、その少女がものすごくキラキラしてまぶしく見える。
でもその少女は、振り向いて、自分とは逆の方に進んで行って、背中を向けて、夕日に向かって歩いていく。
で、だんだんと遠ざかる。
それを名残惜しそうに、自分は見つめてるんだけれど、その少女の影がどんどん伸びていくのを、ただ見つめてるっていうような寂しさを感じた。初恋の時が、ただもう懐かしいなあって。
まだこの時、高校生ぐらいですけど、もう心が老人のような感じで、あの詩の恋が懐かしいなあっていうふうに、長い時間がたってるような感じを受けました。
先生の中の時間の流れの間隔が、ちょっと私たちとは違うのかなと。
一瞬一瞬がすごく凝縮されているから、その分長いのかなと感じました。
先生は恋愛に対して、とても純粋なイメージを持ってらっしゃって、最初は友情だけど、愛とか、お互い一緒になって、幸せをまき散らす子どもたちが増えてゆく、子孫繫栄していく、地球の人類のことも言ってるのかなと思いました。
でもこの幸せな夢はかなわなかった、というか、子どもたちである人類も、間違った方向に、どんどんズレてきているので、それを悲しみの目で見てたのかなと思いました。
あと、『ドラゴン・ハート』の中の歌で、「Exciting Love」の「ひと夏の初恋」というフレーズがあったと思うんですけど、これとも何か重なるなあって感じました。
先生にとっての恋って、夏なんだなって、夏がキーワードになってるなって思いました。
夏で、6月頃っておっしゃってたので、6月の何日かな、暦で夏至っていうのがある。もしかしたらその頃かなって、勝手に思ったりして。
B 私もこの「神話」っていうところにすごく、なんかこう、パッてきたんですよね。
で、これと『遠い日』と、その後の『君の名も知らず…』、私この『君の名も知らず…』を1番最初に見た時に、多分イブさんのことを言ってるんだけど、この時の高校生の時の主は、イブさんの名前がわからない。
今の今世の千恵子さんの名前は知ってるけど、イヴさんの名前が出てこなくてで、だから“君の名も知らず”だったのかなって、ちょっと思ったんですよね。
そこと「遠い夏の日の神話」っていうのが、本当に今世の失恋を振り返ってるんだけど、でも、こう2人で愛を花開いてる、幸せだったっていうところは、今世のその夏の時もあるんだけど、イヴさんとの時代がはるか昔の、そこの時の神話っていうのと、すごいだぶってるのかなっていうのをちょっと思ったんですよね。
A 私も思いました。夏というと、あの『十字架の女』に出てくる、マザーにある、イージプトっていう国。エジプトと同じ砂漠の国なのかな、暑いんですかね。
夏の国っていうイメージで、先生の別の詩で、エジプトにエデンがあった、そこでイブと一緒にいろんな動物たちを創ったっていう詩がありまして、その頃のことを思い出してるのかなと思いました。
B エジプトは、マザー星のイージプトで、地球ではエジプトで、そこでアダムとイブとして生まれてるんだけど、先生が今世、千恵子さんと、夏の恋をして、その後『小さなメルヘン』で逆さまに歩いて、カチンコチンなったのは、シベリアで、でもその夏の日の夏っていうのは、サマーランドがロシアでシベリアだから、エジプトとそのロシア、イージプトとサマーランド、両方多分かかってるんじゃないかな、マザー星の。
それをちょっと私も思いました。
A 次の『風車』ですが、なんかペンダンをくるくる回りしている。
ペンダントのチェーンも輪っかで、連なっているっていうのも、何か時間の輪がいっぱいある。
それで、いろんな宇宙がいっぱいあるのを、先生が動かしてるのかなあ、みたいに思いました。
大きく弧を描いて、この中に千恵子さんを思い浮かべているっていうのが、今の宇宙の全体の時間、大きな時間の輪のことなのかと。
その中に、先生と千恵子さんがいるっていう感じかなと思って。
先生が結構自分から頑張ってまわしている、「まわしてもまわしても冷たい銀の白光り」って言ってるので、一生懸命働きかけてるけど、相手は何も反応がない。
もう心が完全に離れていってしまってるし、このまわしてるっていうのは、地球が1回転するというのもかかってるのかなと思って、時間のことかなと思いました。
長い時間をかけたけど、お互いに分かり合えなかった、っていうことかな。
でも、エデンの時からって、壮大すぎる。
あと『君の名も知らず…』は、その情景がものすごくきれいだなぁと思ったのと、同時にちょっと、「ポプラ並木は血のように赤く染まっていた」っていうのが、ここだけちょっと怖いなと。
夕日の色っていろんな表現あるけど、なんで「血のように赤い」っていうんだろうと思って、ここにちょっと、何か暗い部分を感じた。
なんかこれからの運命が悪くなるっていうのを予感してるのかなって。
B 私はそれを、人類の未来だとみました。そう感じました。
A 「彼女の中に無限遠点を見た」っていう先生の解説があって、無限遠点は宇宙の無限の時間なので、やはり、なんかこう全体に詩を見ると、なんか時間っていうのがなんかキーワードになってるのかなと思いました。
「一千憶年の孤独」よりももっと前からの長い時間かなあと思いました。
B 私が1番最初、『遠い日』を読んだ時に、その「神話」というところで、絶対イヴさんとのことがかかってるなっていうのをすごく思ったんで、今世の千恵子さんとの、ひと夏の恋から失恋して、それがもう遠い日の夢になったっていうのは、埋もれた夏の日は今世のことだけじゃなくて、イヴさんとの時代、はるか昔のアダムとイヴだった時のことの、神話も重なってるなっていうのを感じまた。
その後『風車』のところを、最初の前半はイヴさんとのことのことで、ずっと私もそのように見てたんですけど、途中で、どうしてもこの「男泣きに泣いてしまいそうで、どうしても目を伏せてしまった」まではイヴさんとのことかなと思ってたけど。
その後から、最初に「あまりにも早く来た春 この山あいの小さな町にもう春が来たことを あなたにどうやって告げよう おそらく信じてはくれまい」という箇所が、ここで最初、大悟の日、三月に「イイシラセ、イイシラセ、イイシラセ」が来て、「それをどうやって人類に伝えよう おそらく信じてはくれない」って。
「桜の花はまだなんでしょう?」というところは、「救世主って、そんなの今の時代にねえ?」と。
だけど、「まわしてもまわしても」は法輪もそうだし、あと私はすごい長い輪廻転生というか時間の輪というか、それを人類のために、まわしてもまわしても「まわしてもまわしても冷たい銀の白光り」で、「何も語らぬ風車」、人類からは何も語らぬ、「まわしてもまわしてもあなたの胸のぬくもりが」っていうところは、千恵子さんでもあるんだけど、もう人類のこと。
この時に『プラタナスの幻想』が出てきたんですよ。『プラタナスの幻想』で、主はイヴさんとの失恋を、1回、全部、太陽に昇華させて、その愛、無償の愛から人類を照らして、光に変えたじゃないですか?
だからそのイヴさんとの別れ、イブさんと恋の失恋を、人類愛までに転化して、人類に照射して、時間を回し、転生輪廻を回し、法輪を転じ、まわしてもまわしても、でも人類からは「胸のむくもりが私の心に届かない」って。
しかも、「私の心に届かない」っていう形で、ただただ「ぐるぐるまわる風車」っていうところで、もうそうとしか見えなくなってきてたんですよね。
ただひたすらに本当に申し訳なさすぎる。
その後で『君の名も知らず…』のところで、ここで、「ゆきずりの少女」はイヴさんだと思うんですけど、それもここでも、イヴさんなんだけど、人類でもあって…。
ここで、この影もちょっとキーでね、ここでちょっと掘り下げ途中で終わっちゃったから、そこから「夏の 通り過ぎた道路には 遠く夕陽が浮かび ポプラ並木は血のように赤く染まっていた」っていうところで、あれだけ時間も輪廻も法輪もまわしても、いつも人類には伝わっていかないし、私の心に伝わってこないっていうとこで、「あ、もうだめだこれ!」って。
「血のように赤く染まっていた」という箇所は、人類の未来として見えなくて。
「やがて はるか無限遠点に」、色々今回の地球の姿が没する、人類を創ったことも、はるか昔の思い出、遠いところになっていくんですけど。
そこでも「私はいつまでも佇んで 遠く澄みわたった。」
それでも主は澄みわたっている、その澄みわたった空気の中で、「ひとときのおもひで」、地球というひと時の思い出を、「めぐらせていた」っていう。
その「めぐらせていた」っていうのは、ただ思い出を巡らせていただけではなくて、ここから次の、宇宙の種というか、次の地球の種というか、それをもう巡らし始めてるっていうか、それでも散々な地球のこの歴史とかやってきたけど、その中でも、確かにちょっとでもあった人類の光を、大事に次のものに巡らせて、澄み切った空気の中で、愛おしく、懐かしく思いながら、その光を、次の縁起に、輪廻に巡らせて、下さろうとしてるんじゃないかなっていう感じでとらえて、もうひたすら涙した、みたいな感じでした。
C 全体的な感想になるんですけど、主と千恵子さんが、どういう関係性で、どうすれ違ったんだろうと考えた時に、これは講師もおっしゃってたことなんですけど、主の愛は純愛っていうか、その純愛の中身っていうのが相手の仏性を高めるっていう愛。
これが純愛=友情なんだよって、そういう目線で男女とも見ていた。
でも一方で千恵子さんは、博愛主義で、男女平等に愛を与えていって、男女に結びつきっていうのは、やっぱりクリスチャン的なのかなと思って、男女がなんか墜落している愛っていうのもよぎって、受験期の前はちょっとダメです、ってされたのかなって思いました。
『君の名も知らず…』で感じたのは、先生の愛は、純愛。
千恵子さんは博愛主義っていう、その違いが理解できなくって、ある日の千恵子さんが、向こうからやってきて、すれ違う彼女は、転生して姿かたちが変わってる千恵子さんで、一瞬わかんないけど、影を見た時に「あ、彼女だ」ってわかるんで、千恵子さんが過ぎ去った後、主が後ろに振り返った時に、太陽も沈んでいって、無限遠点のかなたに彼女も消えていくというのは、始まりであり、終わりのイヴの姿を主は見られて、その見られてる中でも、創造主として、もう全部、透明なものとして見てる景色みたいな感じで、この頃から主は、潜在意識的にそういうことを感じていると思いました。
主の仏言の「去ってゆくものだけが美しい」が心に残って、無償の愛で千恵子さんも去っていくけど、それすら無償の愛だっていうのを感じました。
D 他の方と引っかかったワードが一緒だったんですけど、『風車』の「桜の花はまだなんでしょう」っていう部分と、『君の名も知らず…』の「影」っていうのは、すごい「ええ?」って思ったんですけど。
『遠い日』は、悲しい気持ちとかが沈殿していって、すごい透明な感じがしたのと、高2の時にすでにもうイヴっていうのが分かってて、でも決して結ばれないことも分かってて、それでも好きになって別れるっていうところに、主の孤独を感じました。
※法談はいろんな話が出るので、あくまでも個人の意見であり感想です。こちらで適宜編集させていただいています。


