原曲「いつかは、きっと、シンデレラ。」「浅い夢」体感研修

2026年10月8日

A:『いつかは、きっと、シンデレラ』は、だんだん若くなくなっていくところが、「生老病死」の老の苦しみを言っているところかなって。

自分も35歳なので、20代を過ぎ、中年に入っていく寂しさが、主人公と重なると思いながら、聴いてました。
自分も、先生がお隠れになる前、一時期、宝くじを買っていた時期があったんで、それを思い出して、反省しました。今はもう買ってませんけど。

そういう主人公と自分の重なる部分を思いながら聴いて、本当に平凡性を自覚して、コツコツと努力しようと、あらためて思った次第です。

あと質問ですが、『浅い夢』の歌詞の、「他人にほめられて、尊敬さえされるなら、女の幸せだと思い込めますか」のところ、単純に「そういうのは幸せでないよ」と言ってるのか、他の意味があるのか、わからなくて…

講師:若い女性の場合、周りからチヤホヤされますよね?この「他人にほめられて」は、チヤホヤのこと、それが幸せだと感じ取るところがあると思います。

そういうのは「女の幸せだ」と言われてますが、男性にもそういうところがある気がしています。

「チヤホヤされることが、なぜ幸せなのか、考えてみてください。そうじゃないでしょ?」ということですね。

私は総裁先生と同年代なので、昔は、チヤホヤされるのは女性だった。でも最近は男性もチヤホヤされますね。

女性がかわいいことはいいけれど、それを武器にして、欲を満たすことはよくない、危ないと先生はおっしゃっているんです。

B:『いつかは、きっと、シンデレラ』のほうで、参究のヒントの、「悪魔の罠」っていうのがいろんなところにあるんだなと感じました。

若い頃に、かわいくてチヤホヤされたっていう覚えがなくて、あまり「自分がかわいい」とか、かわいくなりたいとかいうことに、欲を持ったことはなかったかもしれないけど、「あの人素敵だな、あんなふうになりたいな」っていう変な願望はあったかもしれなくて、今思うとそれも、妖怪性だったかもしれないと感じました。

きれいな人にも、心の中に悩みもあったでしょうし、そういうところを知らずに、「見た目がきれい」「よくもてる」「性格がいいな」と、そういう人に、ただただ憧れて、そうなる努力はあまりしてなかったな、と。

ひとっ飛びに、「非凡な自分になれたらいいな」って、真理を知らない若い頃は思ってました。
でも、「平凡な中に光を放つこと」を、若い人にも伝えたいなと感じました。

「きれいでいたい」という価値観のところに、「みんな年を取っていくんだよ」もあるし、「心を磨いてほしい」とか、若い方々に伝えていきたいと思いました。

『浅い夢』のほうでは、「浅い夢」っていうのは、言葉としてはわかるんですが、他に、「はかない夢」とか、「幼い夢」「むなしい夢」とか、色んな夢がある中、先生は「浅い」って表現された意味は、あまり考えてない、表面的なことに心躍らされているところがあるから、「浅い」になったのかなというふうに思いました。

あと、一日はそんなに早いって思わないけど、一か月っていうのが、あっという間に過ぎている。
夏もあんなに暑かったのに、もう秋になってる。

ということは、講師が言われてたように、やるべきことをやらずに、欲のほうに翻弄されているから、あっという間に終わってしまってたのかなって、一つ反省しました。

一日も、計画性もなく、起こったことに反応しながら生きてたところも、反省して、やっぱり今日一日、することを明確に、一日の目標をたてる、それがないと反省もできないんで、そうしていきます。
映画も楽しみです。

C:『いつかは、きっと、シンデレラ』は聴いた時から「どれだけ欲深いんだ?」って、あれもこれも欲しい、でも努力もしなくて待っているだけなんてと驚いた。

神様から見て、人間が浅はかに生きる姿は、こんなに愚かに見えることを、わかりやすく表してくださった曲、映画なんだなと。だから仏法真理を知らないと、こんなふうになってしまう。

イメージとして出てきたのが、鳥のヒナ。ヒナはエサを運んでもらって、育ったら巣立っていくけど、この曲では、もう翼もあるのに飛べないと思って、エサをもらおうと、ピーピー、巣で鳴いている姿。

翼が真理で、「自分の心一つで未来が開ける」ってことを知らないと、「あれもこれも欲しい、誰か私を幸福にして!」って生き方になってしまうのかな。

心が分からないと、外的条件、環境や他人のことばかりに目がいって、他人との比較でしか考えられなく、欲しいものを手に入れても、幸福感、満足感もなく、いつまでも欲に翻弄されてしまう。

それを他人事でなく、常に自分の中にもそれがあると思ってチェックしていかないと、どこかで「浅い夢」を見て、悪魔に足をすくわれてしまう、その教訓の曲だと、原曲を聴いて、やっと思えました。

『浅い夢』は、最初に聞いた時から、先生からの説法として「あなたは大丈夫?どうですか?」って、ずっと問われているような気がして、心に刺さりまくっています。

歌詞の「悪魔の知恵」の、知恵の漢字が、一番簡単な字のほう。

仏法真理ではよく「智慧」と、難しい字を使うけど、悪魔の知恵が、簡単な方を使われてるのを見て、「悪魔の知恵は、仏法真理に比べたら、所詮、浅智恵なんだ」と感じました。

でも、仏法真理を知らず、「浅い夢」を見てると、その浅智恵に騙されてしまうんだと。

生涯反省的に、信者になってからの自分を振り返ってみたら、真理を学んで、その通りに生きよう、自己変革しようとしても、すぐに成果が欲しい傾向性で、変わるまでの時間が待てず、あきらめてしまうことが多かった。
で、傾向性も変わらず、人生も変わらないまま、時間だけ過ぎていた。

でも、その中でも、十年、二十年という時間の中で、ほんの少しずつでも積み重ねてきたものもあって、他人に比べてペースは遅くても、法の通りに変われていたところもあることに気が付けました。

昔は、「努力即幸福」の意味がわからなかったのが、最近は「努力させてもらえること自体、ありがたいことなんだ」と、少しは分かるようになったこととか。

今年は「Focus on」って言ってるように、「自分は何に意識を合わせているのか?」を、戒や目標を立てて、意識していかないと、魂の糧も何も得ないまま、一日が終わり、一年が終わり、一生が終わっちゃう。

『新復活祈願』の前半のところ、当たり前と思っている平凡な毎日が、実は奇跡なんだと、どれだけ気づけるかどうか。
だから、「Focus on Lord El Cantare」が大事なんだと思いました。

D:『いつかは、きっと、シンデレラ』の歌詞を見て思ったのが、私も学生時代は、「イケメンで金持ちのIT社長と結婚して、タワーマンションに住みたいな」とか、そんなこと思ってました。

そういうことを女子会でしゃべって、「なんやアホなことゆうてんねん!」みたいなことを突っ込んだりしてましたけど、だいたい20代の頃の女性はみんな、そういうことを必ず一度は思うんじゃないかなと、思いました。

今の若い子たちのほうが、SNSとかで、他人の幸せな場面を見ることが多いから、さらに男性への条件や、玉の輿願望の条件が高くなってるというか、理想が高くなりすぎて、現実が見えなくなってる人が増えるんじゃないかと思います。

私の時はまだ、インターネットが始まったばっかりで、「六本木ヒルズ族」っていう言葉が出てきた頃です。
そのぐらいなので、冗談では言うけど、そこまで本気では思ってなかったなと思いますね。

普通に「結婚して、家庭を持ちたいな」という、女性の理想の幸せをみんな思うと思うんですけど、その理想を得るための方法を、みんな間違えているのかなと、思いました。

外見だけを磨くとか、出会いの場に行きまくるとか、そういうのが増えてきて、数だけこなしてて、表面的なことばっかりで、中味がないんじゃないかなって、思います。

『浅い夢』も、自分の中味をちゃんとしないと、夢が浅いっていうか、自分の可能性の幅が狭いから、夢の幅も狭くなるのかなと思いました。

可能性を拡げるためには、やっぱり色んなことに興味を持って、努力する、勉強するとか、本当に地道なことが必要だなと思いますね。

昨日たまたま、バイト先の25歳の女の子としゃべったんですけど、その子が「最近気になる人がいる」っていうので、「どんな人?」って聞いたら、「イケメンだけど、クズ」って、その人は、顔がいいから女の子からチヤホヤされて、いつも違う女の子と一緒にいるような人だと。

「そんな男のどこがいいの?」って聞いたら、「イケメンだからいい」っていうんですよね。
そういう今の若い子の、恋愛に対する考え方が、ちょっとおかしいと思いました。

その本人の性格もあるかもしれないけど、「そのイケメンと、短くてもいいから、遊びでもいいから、付き合いたい」って、本当に言ってたんで、それも「浅い夢」なんだろうなと思いますね。

そういう人に対して、「私はどう真理を伝えたらいいんだろう?どういうアプローチをしたらいいんだろう?」と、めちゃめちゃ、考えました。まだ何もわからないですが。

とりあえず、「その子が本当に幸せになりますように」と、祈るしかないかなと、思いました。

私の時間の使い方も、結構無駄が多いですね。
スマホを見る時間が多くなっていて、電車の中でも、本当は経典を持ってるんですよ。読もうと思って思っているのに、スマホを見ちゃうんです。

その選択をバシッとしないといけないなと、反省しました。

E:「イケメンだから付き合いたい」って人は、自分の友達に、「あんなイケメンの人と、付き合ってるのよ」といって、見せびらかしたい、いいなと思われたいという気持ちもあるのかも。

D:そういう心理もあると思いますね。

A:さっきの話を聞いて、数年前に見た、小学生の職業ランキングっていうのを思い出したんです。

男子は普通の職業を答えていたのに、女子の一位は、「働きたくない」って、小学生が。

二位が「ヒカキンの嫁」。ヒカキンって、有名なユーチューバーで、お金持ち。要するに金持ちの嫁になりたいと。玉の輿願望ですね。玉の輿願望を持ってる人は今すごく多いんだと思いました。

C:この『いつかは、きっと、シンデレラ』の歌詞を見ると、「イクメンで、家事までやってくれる」って、つまり、映画の夕子さんのように、自分も仕事をして、出世して、自己実現して人から認められ、「高学歴、高収入、高身長、イケメン」の男性と結婚し、その男性が育児も家事も手伝ってくれて、かわいい子供、あたたかい幸せな家庭、みんなほしいという、欲がさらに深くなってる。

これに比べたら、専業主婦、セレブ妻になりたいなんて、かわいく見えちゃう。

今SNSで、そういうキラキラした人たちの発信も多くて、「私もいつかはきっと、そうなりたい!」って思いやすくなってる気がします。

E:『いつかは、きっと、シンデレラ』は、やっぱり若い時は、いつかは素敵な人と出会えて、豊かな生活をしたいと思ってたことはあったなと、思いました。

でも原曲を聴いて、「高学歴、高収入、高身長」の男って、女性だけじゃなくて、今は男性も女性に同等のことを求めるじゃないですか?

結婚すると、全部折半とか、家事は分担とか、男性も女性も、分担制みたいな感じで、家賃や光熱費とかも半分でとか、はじめ聞いた時にびっくりしたんですけど。

昔だったら、「男の人が家族を食べさせてなんぼ」みたいな感じじゃないですか?それで男の価値が決まるとか、男だったら、家族食べさせて、守って、って思ってたから、何もかも折半って聞いて、びっくりしたんです。

でも今、女の人にも働いてもらわないと生活できない状況や、女の人も仕事で自己実現したいとかもあって難しいなと思うんです。

だから、生きていくためにどうしようもないところと、欲のところを、どうやって折り合いをつけるのかっていうのが、結構色々あるなって。

年を取っても、老後の生活とかも大変だなと、思ったりするんですけど。

『浅い夢』のほうは、「自分の心一つで未来が開けるなんて」のところで、ずっとずっと前から先生は、「心で変わっていける」って言ってるのに、ちゃんと本当にわかってないし、思えてないから、開けてないんだなって。

やっぱり、頭で知ってるだけでなく、実際やっていくことがどんなに難しいことかって感じで…

講師:でも真理知っていても、「すぐ結果がほしい」って思うから、真理の通りに生きられない。
だから、時間をかけて、コツコツやっていくことが大事なんですけどね。

E:一か月や二か月やっても、何も変わらないって思ったり(笑)

講師:そんなレベルの話じゃないです。
この映画の主人公と同じ傾向性を、私達もまだまだ持っているので、だから仏法真理を生かせないんですよ。

「すぐ結果を出す」ための、仏法真理って、考えてるから、望む結果が出てこない。
もっとじっくりとやらないといけない。時間かけてコツコツと。

F:僕も、「いつかは、きっと、ゴールデン・エイジが来る」という言葉を思いました。
「いつかはきっと、ゴールデン・エイジが来る」という夢を信じて、努力をやってこなかった。

2020年にゴールデン・エイジが来るって言われてた。
何もしなくても、世界が変わると思ってた。

でも、本当は、ゴールデン・エイジをつくるために、努力をする必要があったんだと思いました。
それが、『浅い夢』になって、今の世界が現れているような感じがしました。

B:さっき研修中に、講師が「『小さなメルヘン』の意味がわかった」って言ってたことを教えてください。

講師:『小さなメルヘン』は、最後カチンコチンとなって、オホーツク海にいて、少女は南の島で結婚して、子供も孫もいて幸せになっているという内容。

ここで主は何を言わんとしてるかというと、幸福への見方が、この世的になってるということを示しているのではないかと思いました。

少年の最後は、我々には幸福には見えない。少女のほうが幸福に見える。私たちの思う幸福とは、少女のようなもの。

でも本当の神の幸福とは、どんな環境にあっても、愛を与え続けるというもの。

この絵本の最後に引用されている、『幸福な王子』でも、王子もつばめも、我々の価値判断、この世的には幸福に見えない。でも題名には、幸福とついている。

今の自分が幸福と思っていることが、本当の幸福なのか、考えてほしいと示されているのではないか。

今回の映画もそう。
自分が思っていることが、本当の幸福なのか、気が付いてほしい、すべては神から与え続けられているのに、それに気が付かずに、「あれもこれも欲しい」と思ってるのは、本当の幸福なのか、それに気づきなさいという映画だと知った時に、『小さなメルヘン』もそれだったんだと。

だから、幸福のものの見方がどうしてもこの世的になっていることに、気が付くことが大事だと思いました。

B:でも自己犠牲は愛じゃないって…

講師:自己犠牲の捉え方は、『現説・愛の発展段階』で、「自己犠牲は愛ではない」っておっしゃってる。

あの自己犠牲というのは、本当に大切にする自分があると知った人が、自分を愛する心を育てるということはどういうことかというと、欲を捨てるということ。

自分の中の欲心を捨てていくと、自分が成長する。光が増える。これを実体験した人は、またどんどん欲を捨てていく。さらに、人を幸福にするために、自分を防衛する欲も、取ってしまう。

自己犠牲と言いつつ、自分の欲を取っていくことでもあるし、自分を愛してることでもあるんです。

だから、「自己犠牲は愛ではない」、でも救世主のしている愛は自己犠牲。それは本当は、自分を愛してる行為なんです。
我々が自己犠牲すると、自分を傷つける行為になってしまう。

そこのプロセスは、悟りという形で、繋いでいくべきなんだけど、ここは時間がかかる。
コツコツと自分の欲心を取っていく修行をせずに、自己犠牲をすると、自分を傷つける自己犠牲になってしまうという意味です。

だから、時間というものが介在するということを、我々はちょっと軽く考えすぎている。

先生がおっしゃっている、時間はかかるけど、コツコツと、あきらめず、努力するところに、本当の信仰が立ってくるのかなと感じています。

結局は、自分を愛することと他人を愛することが、どこかで一致していかないといけないところ、そうしないと自己犠牲がわからないかもしれないですね。

※法談はいろんな話が出るので、あくまでも個人の意見であり感想です。こちらで適宜編集させていただいています。

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